デヴィッド・ボウイの訃報に接して、なんだか凄い喪失感に襲われている。
彼自身の69歳の誕生日であった1月8日にリリースされたばかりの『★(ブラックスター)』を持参して
comp. へ。
部屋で独りで聴くのはキツすぎるが、賑やか過ぎても辛い。
そんな極端に気難しいモードに入り込んでしまった僕は、店のスタッフと共にしっとりとボウイへの想いに浸れる場所として直観的に
comp. を選んだ。店に入ると主のヒデが、まさにデヴィッド・ボウイの特集番組の映像を独りだけでかけているところ!
すかさずリクエストしてアルバムをかけてもらう。
「Lazarus」の歌い出しの“Look up here,I'm in heaven”なんてフレーズに、ふたりで同時にギクッとしたりしながら、聴き浸った。
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闘病中にこんな映像を制作する根性も半端じゃないが、今となってみると、ブックレットのアートワークからも、このアルバムが遺作となることを覚悟していた気配が、生々しく伝わってくる。
つくづく存在の全てを作品に賭けるアーティストだったと思う。
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以下、極私的な独白。
デヴィッド・ボウイは、当時10代だった音楽の聴き方を大きく変えるほどの存在だった。
ボウイを知る前の僕は、ハード・ロックの“演奏”に関心が強かったのだが、「Five Years」の後半で、ひたすら泣き叫んでいる部分などは、自分がそれまで持っていた“歌”のイメージを著しく逸脱しており、その衝撃を受けてから、僕は音楽を通して伝わってくるパーソナリティに強く惹かれるようになった。
サウンドから表現そのものへ関心が移ったと言っても良いかもしれない。
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その後のパンク〜ニューウェイヴの直撃も大きかったが、デヴィッド・ボウイの存在が無かったら、僕が自分でも歌詞を書いたりすることはなかったかも知れない。
そういえば今まで自分の書いた歌詞の中で出てくる実在のアーティストの固有名詞も、「いつものように」におけるデヴィッド・ボウイだけ。
歌詞は「Five Years」、アレンジは「Moonage Daydream」のオマージュのつもり。
ピアノは斉藤トオルが、マイク・ガーソンのムードを意識して弾いてくれている。
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どれほど強烈な衝撃を受けたのか、改めて噛み締めてしまった。
音楽にとどまらず、様々な作品の受け止め方そのものに影響を与えてくれた偉大なアーティスト、デヴィッド・ボウイの冥福を祈ると共に、素晴らしい作品の数々で魅了してくれたことに、心から感謝したい。
ありがとうございました。
どうかやすらかに眠ってください。
それから、こんな日にモードを共有してくれた
comp. にも助けられました。
どうもありがとう。
喪失感は埋める術がないが、このテキストを綴るうち、少しだけどよ〜んとした気分が落ち着いてきた気がしています。