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本日新宿Soulkitchenにてライヴ!2012.11.30 Friday
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本日11月30日(金) 志田歩 with kubottiで、
中川五郎さん、ナラカズヲさんとのジョイント・ライヴを行います。
会場は鳥井賀句さんのお店である新宿Soulkitchen。
(新宿区役所の隣のビルです)
新宿Soulkitchen http://soulkitchen.sadist.jp/
〒160-0021 新宿区歌舞伎町1-4-12 ナカヨシビルB101
tel:03-6457-6819
19:30 スタート チャージ1500円+オーダー
中川五郎さん、ナラカズヲさんのいずれも、以前から共演したりいろいろな現場でお会いする機会がありました。今回はマスターの鳥井賀句さんの発案で、この顔合わせとなりましたが、特別な場となることと思います。
○中川五郎 60年代関西フォークの時代からの大ベテラン。下北沢での活躍の機会も多く、2004年には、NEVERNEVERLANDのマスターであった松崎博さんの追悼イヴェントで共演させていただきました。
○ナラカズヲ 2005年に北沢タウンホールのイヴェント“風の人シアター Save the 下北沢”で共演させていただきました。最近は脱原発の抗議行動の現場で、お会いすることが多いです。
アットホームなお店なので、終演後の交流も楽しみにしております。
お誘い合わせの上、ご来場いただければ幸いです。
なお出演順は
志田歩 with kubotti、ナラカズヲ、中川五郎という予定です。
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オーディション二日目終了!〜上手くいく恋なんて恋じゃない〜2012.11.27 Tuesday
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劇団「ほぼ無職」のオーディション二日目終了。
オーディションとはいうものの、現場ではゲストの東方力丸さんも交えてのダンス・レッスンなど、お得なワークショップのごときイヴェントと化していたのは、座長のいわいゆうきならでは!
一方で、顔見知りの劇団員も増え、共に過ごす時間が増える中で、僕にも徐々に演劇というジャンル特有の面白さめいたものを感じるようになってきた。
劇団の特性は、とにかく多数の人間による共同作業だということ。
「バーレスQ 〜シモキタ駅前伝説〜」という脚本を書いたのは僕だが、それに忠実に従うかどうかは、稽古の時点では演出家に委ねられるし、本番は役者に任せるしかない。
つまり、あらかじめ僕が脳内で描いていたことを忠実に再現することなど、ありえないのだ。
そして、そこが醍醐味。
僕はテキストしても、曲にしても、あらかじめ脳内で組み立てたものをプラモデルのように忠実に形にすることには、あまり興味がない。むしろ組み立てていくうちに「思いもよらなかったものを作ってしまった!」という時、ある種の達成感を感じる傾向が強い。(その背景には「凡庸な自分が平時に思いつくことなんて、たかが知れている」という諦観もあるのだけれど)
文章は自分ひとりの作業なので、推敲を重ねる形で、完成度を高めていくという手もある。
音楽も弾き語りや多重録音ならば、漸近線に迫るようなやり方で事前のイメージと実際の作品との距離を、どんどん埋めていくというやり方は、まぁやりやすい方だと思う。
しかし、劇団というのは、あらかじめ大人数による共同作業。
その場に関わる人のキャラクターや閃きによって、どんどん作品の完成形が変容していくのだ。
すでに今回の現場でも、僕の脚本をきちんと読み込んだ上で、脚本には無かったセリフを加えたり、はしょったりするパーソナリティの存在、あるいは同じ役を誰が演じるかという個体差が、
場と作品を活性化していくのを体験している。
神経質なクリエイターだったら嫌がる人もいるかも知れないけれど、むしろ僕は自分の脚本が、教科書のように動かし難いものではなく、素材の一つのようになっていくのを面白がっていたりもする。
「上手くいく恋なんて恋じゃない」というのは、チャーが歌った「気絶するほど悩ましい」(作詞は阿久悠)のフレーズだけれど、
劇団の作業はちっぽけな自意識で想定できない展開になるからこそ面白い!
もっと極端に言うと「上手く行かない恋だからこそ面白い」というのが、
劇団という表現形態が持っている本質的な魅力のような気がし始めた。
演出のいわいゆうきからすると「僕が苦労してるのに、のんきなこと言ってるよ」という感じかも知れないが、前夜のミーティングで、僕といわいには、表現における技術についての発想で、ずいぶんと重なる部分を持っているように感じたので、来年2月の公演に向けての時間が、さらにさらに楽しみになってきた。
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オーディション初日終了2012.11.26 Monday
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劇団「ほぼ無職」の2月公演のためのオーディション初日終了。
参加者のレベルとテンションが加速度的に上がっているのを体感。
ワクワクする。
終了時には座長からいきなり「エンディング・テーマを歌ってあげてください」といわれ、急遽アカペラで披露するはめに。
この追いつめ方……おそるべしいわいゆうき!
この男の直観的現場処理能力は、近い将来「ほぼ無職」の名を“奇跡のローファイ劇団”として轟かせることに(なるかもしれない)。
終了後はバックスに移動して座長とミーティング。
これまで「シモキタ駅前今昔物語(仮)」としてきたタイトルですが、
改めて「バーレスQ 〜シモキタ駅前伝説〜」とすることになりました。
明日のオーディション現場がどうなるか楽しみである。
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劇団「ほぼ無職」のオーディション情報2012.11.06 Tuesday
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僕が脚本を書いた舞台「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の舞台に関する劇団「ほぼ無職」のオーディションのお知らせです。
この舞台は劇団「ほぼ無職」により、来年2月24日、第23回下北沢演劇祭の一環として、北沢タウンホールで上演されます。
舞台の実現にあたっては、座長も僕も小劇場演劇界の代表格ともいうべき劇場であるザ・スズナリのメイン・スタッフとして多くの舞台に携わってきた野田治彦さんからアドヴァイスをいただき、経験不足を補っております。
現在の下北沢は、再開発の関係で駅前の景色が急激に変化しています。
これと密接な関係があるのが、補助54号線という新規道路計画で、この道路計画は終戦直後の昭和21年に計画された後、ずっと着手されずに放置されてきたにも関わらず、21世紀に入ってから高層化を前提とする再開発と連動する形で動き始めました。
2003年末に“Save the 下北沢”を立ち上げたのは、既存の街並を破壊するこの道路計画の中止を求めてでした。
その後、2006年から裁判が始まりましたが、みなさんご存知のように、この計画を強力に進めてきた東京都では、知事が突然辞任し、今後の動きがどうなるかは、まだまだ予断を許さない状況です。
僕の脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」は、こうした状況を背景に、現在では駅前ロータリーの作り方を巡って大きな注目を集めている下北沢駅前を舞台に選んだものです。
終戦直後の下北沢駅前では、太宰治の弟子であった田中英光をはじめとする様々な文学者がたむろしていました。終戦直後の文学界は、下北沢にも新しい出版社が次々と生まれ、多くのヒット作が生まれていました。
僕の印象では、ちょうど80年代の下北沢で次々とレーベルが設立され、インディーズ・ブーム〜バンド・ブームにわいた音楽シーンを連想させる局面もあったように思います。
そこで今回の脚本は、現在の下北沢の路上でマンガの朗読を生業としている東方力丸が、太宰治、田中英光、坂口安吾、さらに森茉莉、萩原朔太郎などと出逢う形で、時に破壊的なギャグを取り混ぜつつ、かつてさまざまな文学者が関与していた下北沢の歴史的文化的な重層性をあぶり出そうと挑んでいます。
今回劇団「ほぼ無職」では、太宰治、田中英光、坂口安吾、森茉莉、萩原朔太郎といった文学者、およびその他の出演者を決めるためのオーディションを行うことになりました。
○オーディション日程 11月25日(日)夜・11月26日(月)昼と夜
*最初に公開した情報から訂正が入りましたのでご注意ください
○参加費 300円程度
詳細は劇団「ほぼ無職」代表:いわいゆうき まで。
yuukiiwai@mushoku.net
090-9099-6253
以下は座長のいわいゆうきからの特記事項です。
*一回公演ですので、長期間の拘束はありません。
*出演者には高額なチケット・ノルマなどはありません。
*本公演に向けての練習は週に一、二回程度を予定。
*週に一回のペースで参加できる方であれば歓迎。
このチラシはすでに下北沢の街中で掲示中。
応募者が現れてきております。
以上のお話にご興味ある方のご参加、および関心がありそうな方への情報拡散等、よろしくお願いします。
以下は劇団「ほぼ無職」本体に関する情報です。
○劇団「ほぼ無職」のブログ http://hobomushoku.blog.fc2.com/
○劇団「ほぼ無職」の初舞台の映像。
今年10/20(土)のきたざわまつりの一環で、北沢タウンホールにて上演。
" target="_blank">ショート演劇「カレーまん、下北沢を救う。」
http://www.youtube.com/watch?v=3ZN-r2Djmmk&feature=relmfu
座長のいわいゆうきは、10月に下北沢で開催されて2万5千人を動員した「下北沢カレー・フェスティバル」の仕掛人でもあるため、ショート演劇の内容は、そのフェスと連動した物語になっています。
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「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード3〜亡き父との対決〜2012.11.03 Saturday
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劇団「ほぼ無職」のために脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」を書き下ろすプロセスから生まれた副産物を綴っていくエピソード・シリーズの第三弾。
今回は少々ヘヴィなテーマ、ご興味のある方だけでもお付き合いいただければ幸いです。
「シモキタ駅前今昔物語(仮)」に出てくる重要人物のひとりに、田中英光という小説家がいる。
太宰治を師としてあおぎ、終戦直後は共産党員として熱心に活動するが、挫折した後は妻子を家に残したまま新宿で娼婦と同棲。太宰が1948年に愛人と心中した後は、睡眠薬の中毒になって、精神病院に入院したり、錯乱して同棲中の愛人を刺し、そのスキャンダルによって原稿の依頼が増えるというパラドックスの中、もの凄い勢いで作品を書きまくり、「さようなら」という作品を発表した1949年11月に37歳という若さで太宰の墓の前で自殺してしまった。
この田中英光の実子が、SF作家としての活躍で知られる田中光二。
今年の3月には彼もまた田中家の(つまり田中英光の)墓の前で自殺を図り、病院に運ばれている。
その田中光二が、自分の心の中の父親と向かい合って書いた小説が、1991年に発表した「オリンポスの黄昏」で、このタイトルは父親である田中英光が小説家として世に認められるきっかけになった「オリンポスの果実」に由来している。
(「オリンポスの果実」というタイトルは、太宰治が提案したもの)
まことに失礼ながら、正直言ってはじめは「因果な親子だな」というような軽はずみな気持ちも持ちつつ作品に接していたのだが、自分の父親との関係を振り返ってみたら、途中から人ごとではないような気になってしまった。
というのは、田中英光ほどメチャクチャな父親ではなかったけれど、僕にとっての父親も、家族としては非常に厄介な存在だったからだ。しかも共産党をやめたことについてのややこしい感情を抱えていたという事情までも、田中家の場合と共通している。
僕が父を亡くしたのは大学生の時。
その大学の選択についてはいくつかの条件があった。
ひとつは戦後の混乱と弾圧の中で大学を中退し、強い学歴コンプレックスを持っていた父親のプライドを満たせること。もうひとつは僕が父親との距離を確保するため、実家からは通えない場所にあること。
当然後者については父親には極秘だった。
今思えばきちんと人対人として対峙することを避ける卑劣な選択だったかも知れない。
だが、父親自身が自分の父親である祖父と対立して喧嘩、家出、そして祖父の死ぬ間際まで絶縁。さらに実の兄弟とも感情的にこじれると何十年も絶縁してしまう“意地っ張り”ぶりを目の当たりにしていた僕は、「この人と正面衝突したら一生家族的な関係を壊してしまうかも知れない」と脅え、あくまでも“合法的”に、父親との距離を確保する道を選んだ。
家族に対する父親の振る舞いは、自分の中では完全に反面教師とした。
僕が大学入学後に父親の前で抜け抜けと民青の悪口を言ったりしたのも、今考えると陰湿な逆襲だったように感じる。
「……おやじ、ごめんな」
父親を亡くした時は、僕の就職などを巡って悲惨な喧嘩をしたりする機会の無いまま、表面的には良好なままで親子の関係を終わらせることができたことに安堵する一方、自分の情の薄さに自己嫌悪したりもした。
葬儀の終盤、棺桶に資本論の文庫本を入れた時、「損な選択ばかりしてたけど一途な人だったんだな」と思ったら、父親の死後初めて涙が出た。
そこでようやく「家族としては厄介だったけど、自分は決して人としての父親を嫌っていたわけではなかった」ことに気が付いて、少しだけ自分を許せるような気がしたものだった。
田中光二も「自分の父親を反面教師にしてきた」とか「父親は自分とは無縁の存在だと思い込むようにしていた」と述べている。だがそれではいけないのではないかと思うようになって「オリンポスの黄昏」を書くことによって、徹底的に父親と向かい合った。
「オリンポスの黄昏」を読み終わってから、僕はふと「田中光二は何歳の時にこれを発表したのだろう?」と気になって確認してみた。
すると彼が「オリンポスの黄昏」を発表したのは、
まさに今の僕の年齢の時だった!!ことが判明。
これには思わず背筋がゾクッとした。
僕は母親とはきちんと人対人として向かいあった時間を共有したうえで死別したという実感があるが、父親に対してはコトナカレで済ましてしまったような負い目がある。
ひょっとしたら僕にもそのツケを払うべき時が来たのかも知れない。
先日、ザ・スズナリの野田治彦さんのアドヴァイスを受け、座長との打ち合わせを経て、今月は「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の改訂(=二稿制作)に取りかかる。
この作業には、そういうハードルも意識しながら取り組むつもりだ。
とはいえ、田中光二にしても、「オリンポスの黄昏」を発表してから20年も経った後に、墓の前で自殺しようとしたわけで、そう簡単に一件落着とはならないという覚悟も持って臨むべきなのだろう。
その先に待つものは何なのか分からない。
だが今はただ、この課題に挑んでみたいという欲望が、頭をもたげている……。
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