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♫今後のライヴ♫
★2023年9月24日(日)
高円寺MOONSTOMP
“SONG SPIRITS VOL55”
志田歩&伊藤孝喜、鳥井賀句&YOZI、芹田香織、剣堂シュウジ
18時半開場、18時45分開演 charge1500円+drink

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    10月29日 劇団「ほぼ無職」作戦会議
    0
      僕が自分のテンションのおもむくまま書きなぐった脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」を、実際に来年2月24日の公演で舞台化するまでには多くのハードルがある。
      その解消のため、僕はSHIMOKITA VOICEで共に歩んできたザ・スズナリの野田 治彦さんに、アドヴァイスしていただくことを座長のいわい ゆうきに提案。
      野田さんの快諾をいただき、この夜に三者会談が実現した。
      僕にとってはいつも穏やかな笑顔を絶やさないシモキタ問題のステキな仲間である野田さんだが、芝居の経験がある座長にとっては日本の演劇シーンの重要人物。珍しく緊張した表情で、舞台化を実現する上で貴重なアドヴァイスをいただいた。
      僕としても彼のような立場の人に脚本に目を通していただいてアドヴァイスをいただくというのは、おそろしく図々しい振る舞いに映る人もいるかも知れないが、脚本のテーマがテーマですから、ということで、この夜、すでにひとつのミラクルな現象が生まれていた。
      座長と脚本家というそれぞれの立ち位置の違いをきちんと理解した上で、あくまでもフェアに舞台の成功のためのアドヴァイスをくださった野田さんに、心から感謝!
      ちなみに時間が許せば劇団の稽古にも足を運びたいとまでおっしゃってくださった。
      これはテンション上がっちゃいますよね、座長?

      ミーティング終了直後のスリーショット!!






      posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 03:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード2〜太宰治の墓参り&太宰治を演じたい人大募集!〜
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        今回は10月3日の日記で書いた「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード1〜ヤマギシガイシという男〜に続くエピソードの第二弾。

        さる9月29日、劇団「ほぼ無職」の2013年2月公演のために「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の初稿を書いた僕は、太宰治の墓参りに出かけ、彼を登場人物とする舞台の成功をお願いしてきた。
        太宰治のお墓がある禅林寺の場所は、三鷹駅南口から徒歩10分ほど。

        よほどお参りに来る人が多いと見え、お寺の墓地の入り口にはこんな図が。

        太宰治のお墓は、森鴎外のお墓のはす向かい。

        なぜ同じお寺の中にあるかというと、太宰の妻であった津島美知子が、生前の太宰の「死んだら大文豪である森鴎外のお墓がある禅林寺の墓に入りたい」という希望をかなえたから。身内としては大変な思いをしたにも関わらず、夫への豊かな愛情を感じさせるいい話だと思う。
        ちなみに山崎富栄と心中した太宰治の遺書には「美知様 誰よりもお前を愛していました」という一節がある。また墓石に刻まれた「太宰治」の文字は、太宰が師事していた井伏鱒二の筆によるものだそうですが、太宰は遺書の中で「井伏さんは悪人です」とも書き残しており、これが何を意味しているかは、長い間論争の種となってきた。この一文が何を意味するかについての分析は、猪瀬直樹の「ピカレスク 太宰治伝」に詳しいので、ご興味のある方はご一読を。


        この本のポイントのひとつは、井伏鱒二の創作に対するパクリの問題。
        例えば彼の代表作「山椒魚」が、ロシアの作家サルティコフ=シチェドリンの「賢いカマツカ」そっくりだという指摘が出てくる。井伏鱒二がパクった当時の状況は、日本人の多くはロシア文学の情報などは伝わっていなかった。それと同じように日本のロックでもブリティッシュ・ロックなどの情報が広く知られていない時期(だいたい80年代前半頃まで)に、まるで替え歌みたいな“オリジナル曲”が生まれている。
        こういうエピソードを見るにつけ、僕には日本の近代文学史の航跡と日本のポピュラー音楽の航跡は、なんだか相似形を描いているようにも感じられたりしてしまう……。

        さて、お墓参りの後で足を運んだのが「太宰治 文学サロン」!


        ここは三鷹市が運営している資料館で入場無料!
        係員が丁寧な応対で質問に答えてくれる他、多数の太宰グッズの販売も行っている。僕はちょっぴり風刺の効いたイラストで描かれた「ひとり文学する元祖 太宰マップ」を購入。
        いまや太宰治も三鷹市の観光資源として活用されているわけだ。
        下北沢で小田急線の跡地にこうした施設を作るとしたら「松田優作記念館」といったあたりだろうか?


        そしてそして、ここから先は劇団「ほぼ無職」のオーディション情報!!
        僕の書いた脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」には、太宰治をはじめ、その妻や愛人、太宰の弟子であった田中英光、そして同時代の文学者であり「堕落論」で有名な坂口安吾など、実在した人物が多数登場する。そこでこれらの役を演じてみたい人を、劇団でオーディションすることになりました。
        公演は2月24日、北沢タウンホール。
        一回公演なので長期間の拘束はありません。
        太宰治が大好きで思い切り舞台の上でなりきってみたい人、坂口安吾が「堕落論」からの一節を舞台で朗読するシーンを演じてみたい人など、一生に一回あるかないかのチャンスになると思います。
        オーディションは11月後半。
        詳細は劇団「ほぼ無職」座長の岩井祐樹(いわいゆうき)まで、以下のアドレスで問い合わせて下さい。
        yuukiiwai@mushoku.net
        なお、劇団「ほぼ無職」のこれまでのメンバー募集は、座長によると『「お仕事何されてるんですか?」「…無職です」というのが恥ずかしい人たちのために、お金がかからないなんちゃって劇団を作りました』というゆる〜い感じで行われてきました。

        どんなノリかご興味のある方は、
        http://mushoku.net/fes/2012/03/「劇団ほぼ無職」メンバー募集!/
        をご覧下さい。





        posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        10月14日 下北沢+命つなごうプロジェクトご報告&告知
        0
          雨がいつ降り出すかというコンディションでしたが、午前中に演奏を始め、終わった直後に屋内に退避という絶妙のタイミング! 星野裕矢のカヴァー「冬虫夏草」ではじめ、思いつくままに現場で選曲し演奏。「唄のアジト」で高齢の男性が踊りだす一幕に励まされ、気が付いたらあっという間に40分以上経っていました。締めは「ハッピーエンドを蹴飛ばして」。
          今回も六弦詩人義家が写真を撮ってくれました。どうもありがとう!


          ptoho by 六弦詩人義家

          なお、演奏終了後に僕の演奏のために駆けつけていただいた方がいたということを、後で知りました。天候の都合で早めに終わってしまいました、お許しください!

          それから11月のライヴが急遽決定しました。
          11月30日(金)@新宿 SoulKitchen
          志田歩c/w 中川五郎ナラカズヲ
          19:00 オープン 19:30スタート
          チャージ1500円+オーダー
          *オーナーである鳥井賀句さんのチョイスによるメッセージ系シンガー・ソングライターの顔合わせとのこと! お二人とも以前からの知人なので、非常に楽しみです。僕のセットは相棒の参加もあるかも?


          そして年末は志田歩&Teazer です。
          ○志田歩Presents “GROUND ZERO〜あらゆる可能性だけがここにある〜”
          12月27日(木)
          19:00開演 チャージ2000円+オーダー
          @三軒茶屋グレープフルーツムーン
            出演:六弦詩人義家加藤志乃ぶ&orange cloud、バスコダ、志田歩&Teazer






          posted by: 志田歩 | 音楽活動 | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          10月8日 志田歩 with kubotti VS 六弦詩人義家@下北沢lown ご報告
          0
            今回の会場である下北沢lownは、今年できたばかりのお店。だがオーナーのたっちゃんこと吉田達二さんとは20年弱のお付き合いをさせていただいており、僕のソロ名義の『花よ 大地よ 月よ 銀河よ』と志田歩&Teazer の『最後のライオン』のレコーディングは、彼が経営していたスウィング・バンブー・スタジオ。
            そのスタジオから持ち込んだ機材を持ち込んでいるだけあって音の良さはもちろん、たっちゃんの温かい人柄に触れられることもあって、僕にとっては新たなホームグラウンドともいうべきお店。
            そして10月3日にこのブログに書いた「10月8日への想い(旧友からのメールに応えて)」というようなこともあり、久々に『花よ 大地よ 月よ 銀河よ』から全曲を演奏。
            またこの日は六弦詩人義家の誕生日でもあったため、久しぶりの「バースデイ・ソング」、さらに第一部では六弦詩人義家とのコラボレーションも2曲!なかなかのボリュームだったと思うけど、開演時間を早めに設定したため、ご来場の皆様と終演後にゆっくりお話しできたのも嬉しかったです!

            第一部 六弦詩人義家
            1 After The Storm…
            2 狂気
            3 朽ち果てた詩人
            4 月夜の楽園
            5 路上
            6 砂漠の薔薇
            7 GROUND ZERO(with 志田歩)
            8 ビヨンド・ザ・フレーム(with 志田歩)
            9 mystic
            10 巡礼者の祈り
            11 胎動

            第二部 志田歩 with kubotti
            1 BLUE BOY(志田歩ソロ)
            2 バースデイ・ソング
            3 唄のアジト
            4 恋のホットスポット
            5 電気仕掛けの夜の精霊
            6 裸のワルツ
            7 暗闇のアドバルーン
            8 陽気なプリズナー
            9 ぼくらは
            10 BOYS ON THE EDGE
            11 光の中へ
            12 カウンターの中で
            ご来場の皆様、たっちゃん、ゆみちゃん、ありがとうございました!
            六弦詩人義家とのコラボレーションは、12/27にも行いますので、よろしくお願いします。

            ○志田歩Presents “GROUND ZERO〜あらゆる可能性だけがここにある〜”
            12月27日(木)
            19:00開演 チャージ2000円+オーダー
            @三軒茶屋グレープフルーツムーン http://www.grapefruit-moon.com/
            出演:六弦詩人義家加藤志乃ぶ&orange cloud、バスコダ、志田歩&Teazer






            posted by: 志田歩 | 音楽活動 | 22:48 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
            「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード1〜ヤマギシガイシという男〜
            0
              「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の資料として色々な本を読むうちに、僕にとって興味深いテーマがいくつか浮かんできた。それらをエピソードとして書きとめ、備忘録としたい。

              エピソード1で注目したいのは、評論家の山岸外史(ヤマギシ・ガイシ)。今回の脚本の中には登場しないのだけれど、1934年に太宰治や檀一雄たちと共に同人誌『青い花』に参加した人物だ。

              太宰は「東京八景」の中で、こんなことを書いている。
              「純文芸冊子『青い花』は、そのとしの十二月に出来た。たつた一冊出て仲間は四散した。目的の無い異様な熱狂に呆れたのである。あとには、私たち三人だけが残つた。三馬鹿と言はれた。けれども此の三人は生涯の友人であつた。私には、二人に教へられたものが多く在る」
              つまり親友だったわけですね。

              で、この山岸外史が書いた「人間太宰治」という本を、脚本の参考にしようと読んでみたら、めちゃくちゃ面白い。本も面白いがこれを書いた“人間山岸外史”が、もっともっともっと面白い!

              まず、ガイシが太宰と親しくなるきっかけ。
              知人から「『青い花』という名前の同人誌を作ろうとしている人間がいる」と聞いて、そのタイトルに感銘を受け、いきなりその日のうちに太宰の自宅に押し掛けるのである。
              『青い花』というタイトルは、18世紀後半のドイツの文学者、ノヴァーリスの小説のタイトルで、ロマン主義を象徴する言葉だった。そのシグナルに熱狂的に反応したというわけだ。
              太宰宅に向かう電車の中で、ガイシはこんなフレーズを思いつく。
              「われら、太陽のごとく生きん」
              これはまぁ分かる気がする。当時の太宰は25歳、ガイシは30歳。
              まだ青春してるぜって感じ?

              しかしガイシの閃きはさらにエスカレートしていく。
              「暫くひとりで考えていると、またひとつの言葉がうかんできたのである。
              <われらは、神なり>」
              ちょっとちょっとガイシさん、いきなり神ですかぁ?
              そしてまだ太宰に会う前から
              「これを『青い花』の扉の句にしようとぼくは決心しはじめていた」
              おっさん、ちょっと待たんかい!
              そして出向いた太宰宅はちょうど夕食時。
              ガイシは当時の太宰の妻だった初代からうさんくさそうに見られながらも、二階に上がって食事が済むのを待ち、その後太宰と何時間も文学論をたたかわす。
              結局その“閃きのフレーズ”は使われることはなく、ガイシはかなり不満だったようだ。

              僕自身もテンションがあがると押しが強くなる傾向は自覚しているけれど、ガイシに較べたらなんとも穏やかなものだ(と思う)。しかもガイシはそれをまるで人ごとのように、あるいは当然のことのように書いている。
              う〜む、恐るべしヤマギシガイシ!
              結局、「青い花」は創刊号のみで廃刊。だが二人の交流は激しく続いていく……。

              僕がガイシに親近感を持ってしまうポイントは他にもある。
              「人間太宰治」の中でガイシは批評家という立ち場をグチったりもしている。
              やれ、作家に隷属するような位置に座らせられてしまうだの、作家より一段下にいる人間のように考えられやすいだの、原稿料が安いだの……。
              まるで音楽業界のライター業そのままである。
              うんうん、その気持ち、良く分かるぜガイシ!
              だが彼はもの凄くプライドが高かった。
              「山岸外史は太宰の取り巻きだ」という陰口を叩かれると、ならば太宰と絶交して誰とも馴れ合わない批評家だということを見せつけようとするのである。
              もう、ガイシったら、理屈と情のバランスが変!
              この時は太宰が「君は、ぼくが好きじゃないのかい」とベタな口説き方をして思いとどまらせている。友情ですね〜。

              だが終戦後の混乱の中で、二人は交流を断ってしまう。
              ガイシは戦後にふさわしい新しい価値観を確立しようとして東京を離れ、農村で農業に従事しながらペンをとっていたが、努力のわりに、文壇からはリタイアしたようなポジションになってしまう。そうしたガイシから見た当時の太宰の作品は、滅びの道を進んでいるように映り、共感できない。
              ガイシが太宰に最後に送ったハガキには、こう書いてあった。
              「世の中で最も美しい言葉は、さようならである」
              太宰はそのハガキに激怒したらしく、返事を書くことはなく、そのまま付き合いは途切れてしまう。
              互いの進む道が違ってしまったことを分かった上での別離だったのかもしれない。
              太宰の死後、彼の弟子であった田中英光は、まさに「さようなら」という作品の中で、こんなことを言っている。
              「『グッドバイ』『オォルボァル』『アヂュウ』『アウフビタゼエヘン』『ツァイチェン」『アロハ」等々――。
               右はすべて外国語の『さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の『さようなら』のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。『さようなら』とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ。」
              なんだか付き合いを断ってしまったガイシへの当てつけのようにも読み取れる。
              太宰が心中で他界した後、残された妻である津島美知子は「山岸さんが東京にいたら、太宰は死ななかったものを」と嘆いたという。
              また太宰自身も遺作となった「グッド・バイ」のタイトルについて、仕事場の大家から「日本語のさようならにすべきだ」と言われた時、頑として「グッド・バイ」でなければいけない、と言って譲らなかったという。
              これはう〜ん、太宰もガイシも文士の矜持というべきか、意地っ張りというべきか、微妙なところですね。

              さて、このように太宰と絶交状態だったガイシだが、太宰が死ぬ四ヶ月ほど前に、一度だけ太宰と言葉を交わす機会を持っている。別件でガイシが太宰の家の近所まで行くことを知った妻や周囲の人間が口を揃えて「太宰と逢うべきだ」というのに言い負かされた形でそれは実現した。
              しかしこの生前最後の訪問も型破りである。
              ガイシが前触れも無くふたりの文学仲間を連れて太宰宅を訪れたのは深夜の午前二時!
              結核に苦しみ寝込んでいた太宰にガイシはこう切り出す。
              「太宰、葬儀執行委員長は、おれかネ?」
              ヒエ〜〜ッ!!
              だが、これに対する太宰の答えも凄い。
              「いや、まだ、早い」
              互いの定めを分かり、愛おしんでいながらも、言葉で闘うことでしか親しみを表明できない三馬鹿のうちの二人。
              結局、太宰は起きだして朝の六時まで酒を酌み交わしたという。
              帰り際にガイシは、太宰の妻から「こんどは昼間、おいで下さいまし」と皮肉を言われている。
              そりゃ〜そうですよね。文士の奥さんは大変だ。

              しかし、ガイシの言葉への責任感、っていうか愚直さは尋常ではない。
              1948年6月、太宰が山崎富栄と玉川上水に入水自殺したのを知ると、ガイシは太宰宅のある三鷹に駆けつけ、遺体の捜索にも参加している。だが、周囲の人々から見るとガイシは都落ちしてしまった文壇のはぐれ者。お通夜の場でも酔っぱらって顰蹙を買っている。そして葬儀も終わり、大半の人が帰って、葬儀屋が祭壇を片付け、葬儀委員長だった豊島与志雄が帰ろうとする間際になってこんなことを言い出す。
              「おかげさまで、無事に葬儀もおわったのですが、どうか『これより葬儀委員長を山岸外史に命ず』とひと言いって戴きたいのです」
              お前はアホか〜〜!!
              だが僕はこのくだりを読んでいて、思わず泣きそうになった。
              事情を知らないはずの豊島与志雄も何か感じるところがあったのだろう。
              「わかりました。これより葬儀委員長を山岸外史に命ず!」と生真面目に言って帰っていったそうだ。

              本当なんだろうか? 話を面白くするために誇張している部分があるのでは?
              だが事実がどうであろうと
              こんなことを書いてしまうガイシが、僕は大好きだ。
              そしてガイシは(まだ正確なタイミングが調べられていないので、太宰の死との前後関係が断定できないのですが)戦後に「青い花」を復刊。
              このあたりに僕は、オリジナル・メンバーが欠けた後、それでもあえて再結成するロック・バンドにも似た気概を感じてしまうのである。





              ○2012年10月08日(祝)下北沢lown
              志田歩 with kubotti VS 六弦詩人義家
              18:00スタート
              1500円+オーダー



              posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              10月8日への想い(旧友からのメールに応えて)
              0
                2003年11月23日、移転前のNEVER NEVER LANDで行った“寿唄〜ほぎうた〜”というイヴェント。
                それは山中ひとみさんの「自殺した友人の死後20周年にちなんで当時の仲間で集まって偲ぼう」という発案から実現した。イヴェントのタイトルは、自殺した友人がが遺書代わりに遺した詩から僕が引用した。

                現在はカンボジア古典舞踊家として活躍している山中ひとみさんからのメールで、来年で件のイヴェントから10年目だということに気が付いた。
                以下はそれへの僕のレスから。

                山中さん メールありがとうございました。

                確かにあれから10年にもなるのですね。
                僕にとってはあの一件を含む多大な恩を受けた松崎さんから相談されて“Save the 下北沢”を立ち上げ。翌年に松崎さんが他界という慌ただしさだったことを、改めて思い出します。

                あれは山中さんの発案でしたね。
                改めて素晴らしいアイデアだったとお礼を申し上げます。
                あの時制作したイヴェントのポスターは、今でも部屋に貼ってありますよ!

                先日、僕のライヴを観た方から「ワンダーランド(当時下北沢にあったビルで自主制作盤のレコードショップなどが中にあった)付近で見かけたかっこいいお兄さんたちと同じ臭いがしたよ」という感想をもらい、「そういえば、自分の原点はJに引き寄せられるようにして下北沢に来たことなんだよな」と気が付き、10/8は久々にJのことから生まれた曲をたくさん引っ張りだそうと思っていたところでした。

                また、集まる機会を作りましょう。

                お元気で。



                この一連の出来事については、ウェブ上の「下北沢を巡るネヴァーエンディング・ストーリー」でも詳述しているが、こういうやり取りから生じる自分のモードは、きちんとライヴの場に反映させていきたいと思う。


                ○2012年10月08日(祝)下北沢lown
                志田歩 with kubotti VS 六弦詩人義家
                18:00スタート
                1500円+オーダー





                posted by: 志田歩 | 音楽活動 | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                9月30日 in the Gallery
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                  ひたすら資料を読みあさって脚本を書き進めてきたが、とりあえず初稿までたどり着いたので、モードの切り替えである。
                  まずkubottiと10月8日のためのリハ。
                  かなり欲張って新しいネタを仕込むことができましたので、お楽しみに!

                  そしてリハ終了後は、新宿のアート・スペースへ。
                  アコースティック・アートのオープンマイク“TOMOの音楽夜会”で知り合ったT君の展示会場内で、生音のライヴ・パーティへお招きいただいたのだ。
                  僕がついた時には、すでにオープン・マイクで知り合った顔ぶれが多数集って、演奏が始まっていた。
                  ギャラリーでの演奏は、なんか凄く独特のムードがある。

                  僕から見たシンガー・ソングライター、T君の作風は、アシッド・フォークとかピンク・フロイドのアコースティックなイメージ。淡々と穏やかな中にゆらゆらとうごめく幽玄な味わいがある。それが穏やかな彼の言動と見事に一致しているのだが、絶対に自分のペースを崩さない、あるいは崩せない凛としたものを内に秘めている。
                  ここちよい木陰を提供してくれる大木が、大地にがっしりと根を張っているようなものか?
                  そうした彼の美術家としての活動は、漆を素材にした制作。
                  ゆっくりと経過していく時間の蓄積を形にする美術制作のスタンスは、彼の作る音楽とも佇まいとも完全にシンクロしている。というか、この男自身が作品だ!


                  僕が演奏しているところは、オープンマイクの歌姫、真理子さんが撮ってくれた。


                  演奏終了後に歓談しているうち、T君作曲、志田歩作詞でコラボレーションという話も飛びだした。
                  特に締め切りは設定していないけど、これまた楽しみが増えた!
                  “TOMOの音楽夜会”は、ステキな出会いと刺激をくれる素晴らしいサロンなのだ。

                  以下、ライヴ告知
                  10月8日(祝)
                  志田歩 with kubotti 六弦詩人義家
                  @下北沢lown(ラウン) 18:00開演 チャージ1500円+ドリンク





                  posted by: 志田歩 | 音楽活動 | 09:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |