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保坂のぶとさん、世田谷区長に!2011.04.25 Monday
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すでにご存知のことと思いますが、世田谷区の区長は保坂のぶとさんに!
木下泰之さんも当選を果たし、“Save the 下北沢”と最も関連の深いお二人のダブル当選という形で、世田谷区の選挙戦は終了しました。
この3ヶ月間、スタッフとして動いていた僕自身も非常に貴重な体験をさせていただきました。 一日が一週間にも感じられるような濃密さだったため、とても一言では語れませんが、今回の結果は、下北沢だけでなく、多くの人にとって希望となりうることだと思うので、じっくりとご報告させていただくことにするつもりです。
その手始めとして5月3日、下北沢NEVERNEVER LANDにて、18時から木下泰之さんと僕のトークとライヴによるイヴェントを行ないます。
詳細は追ってのお知らせとなりますが、どうぞよろしくお願いします。
ちなみに僕の部屋は、3月の地震で、棚が崩壊したまま、手をつけることができない状態。
それに加えて今朝になって、突如としてプリンターまで壊れてしまった……。
まずは自室から日常に還らなければ。
“Save the 下北沢”立ち上げから8年、大きな節目を乗り越えて、これから新しい日々を始めていきます。
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保坂のぶとさん記者会見にいたる一週間2011.04.07 Thursday
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4月6日に保坂のぶとさんが記者会見を行うきっかけは、世田谷の市民団体の連携が生み出したもの。
僕自身もシモキタ問題に関わる者の一人として、その強烈なリクエストが、うねりとなっていくプロセスに立ち会うことができた。
実は「保坂のぶとさんに区長になってもらいたい」という声は、下北沢界隈でもかなり前からあがっていた。だが、当時の保坂さんは、国政を目ざしていたため、それはかなわぬ望みだと思われていた。
しかし、そうした前提をひっくり返すきっかけとなったのが、3・11の東日本大震災であった。
悲惨な現地の支援に全力投球する中で、保坂さんが、地方自治の大切さを改めてかみ締めていくようすは、ご本人のブログに詳しく記載されているので、ぜひご覧になっていただきたい。
一方で3月30日、二子玉川にある喫茶店「じゅん」で、世田谷各地の市民運動の有志による集まりがあった。
そのテーマは世田谷区長選挙。
会合が始まった時の店内は、重苦しい空気に包まれていた。
「真に必要なリーダーシップを持つ人を選ぶためには、きちんとした言論によるやり取りが必要なはずなのに、震災による自粛ムードが漂う中では、それもままならないのではないか?」
「混沌とした状況の中で、各地の運動団体が連携して応援できる人物はいるのだろうか?」
話は、地震、津波、そして原発事故が連鎖した東日本大震災におよんでいった。
二子玉川の高層再開発、外環道、そしてシモキタ問題など、世田谷各地の問題を抱える人たちが集う現場で一致したのは、震災以後の日本には、環境を大切にする発想の転換が必要だという共通認識。
その参加者の口々から被災地への支援にいちはやく取り組み、原発政策の転換を唱えている保坂さんの名前があがったのは、まさに必然だった。
それから3日後の4月2日。
今度は「保坂さんに、世田谷区長選立候補への意志を固めてもらうにはどうすれば良いか?」というテーマで、世田谷の市民活動の担い手が呼びかけあい、下北沢の北沢タウンホールで緊急のミーティングが行われた。
最初はこの会議は十数名程度の規模で行われる予定だったが、知らせる時間がほとんど無かったにも関わらず、口コミによりおそるべき速さで広がり、出席希望者が殺到。急遽会場を広い部屋に変更して、総勢46名が熱く語り合う盛り上がりとなった。
その熱気を受けて保坂さんが、4月6日に、今度はタウンホールの12階にあるスカイサロンで記者会見を行ったのは、先日お伝えした通りだ。
午後二時からの記者会見が終わったその日の夜。
一週間ぶりに行われた二子玉川の喫茶店「じゅん」の会合に、この日は保坂さんご本人も訪れた。
今回の発端となったこの店で、彼が語る3・11以降のヴィジョンは、熱烈な拍手で迎えられた。
この一連の流れについては、世田谷区のさまざまな市民運動と連携し確固たる信頼関係を築き、保坂さんと世田谷区の市民運動がリンクする上で貢献した一人会派「無党派市民」の区議会議員木下泰之さんのブログでも書かれているので、こちらもぜひご一読下さい。
保坂さんと木下さんのツーショット@「じゅん」
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3・11以後の希望を求めて 4月6日午後二時、保坂のぶと緊急記者会見2011.04.06 Wednesday
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地震、津波、原発事故が連鎖して前代未聞の規模となった東日本大震災は、文明の方向転換を迫るほどの大きな課題を、日本に投げかけた。亡くなられた方、ご遺族、現在も極めて厳しい状況におかれている被災者の方々の痛みの前に、僕は後ろめたさも感じながら、首都圏で首都圏なりの激動の日々を送っている。
素朴な庶民感情として、亡くなられた方のご冥福と、現在も極めて厳しい状況におかれている被災地の復興を願ってやみません。
さらに被災地への支援が最大の急務である現在、無駄な道路などを作る予算は、震災からの復興にあてて欲しいとも思う。
とはいえ菅政権がこの事態に際して、執行を留保する2011年度の公共事業費と施設費は全体の5%で約3000億円だという。
見直しを求める声が多い東京外部環状道路(外環道)の世田谷〜練馬間でさえ、税金を投入しないという約束を反故にして125億円の予算が計上されており、他にも留保されるのを避けるため強引に公共事業を進めようとするケースも見受けられるようだ。
これらは3・11の痛みを歴史的な教訓とすることなく、貴重な財源を食いつぶしてしまう旧来のシステムの限界の露呈だと思う。
今回の世田谷区長選は、まさに震災以後の激動の最中の4月24日に行われるが、それに先駆けて4月6日の午後二時から、前衆議院議員の保坂のぶとさんが、北沢タウンホール12階のスカイサロンにて緊急の記者会見を行い、区長選立候補への決意を表明することとなった。
保坂さんは国会議員の時には、“質問王”の異名を持ち、公共事業チェック議員の会事務局長として奮闘。シモキタ問題を国会につなげるなど、“Save the 下北沢”の強力なサポーターの一人でもある。
さらに3・11以降は田中良さんが区長を務めている杉並区の南相馬市支援プロジェクトに参加し、原発事故避難者の支援に、いちはやく具体的に貢献すると同時に、これまでの原発政策からの転換も提言している。
今回の記者会見は、アクティブな行動で巨視的な視野を培ってきた保坂さんが、地方自治の大切さをかみ締めた上でなされるものだ。
いささか乱暴なものいいであることを承知で述べるが、大学の卒論のテーマに原発問題を選び、1988年から下北沢で暮らして来た僕の目には、原発事故もシモキタ問題も、現在の日本が抱える制度疲労に映る。
開けてはならないとされていたパンドラの箱が、誤って開けられ、ありとあらゆる災厄が世に放たれた後、最後に箱に残されたのは希望だったというギリシャ神話がある。
今回の会見が、3・11という災厄を経て難局に直面している日本にとって、新たな努力目標の提示と希望の予兆となることを願う。
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