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♫今後のライヴ♫
★2023年9月24日(日)
高円寺MOONSTOMP
“SONG SPIRITS VOL55”
志田歩&伊藤孝喜、鳥井賀句&YOZI、芹田香織、剣堂シュウジ
18時半開場、18時45分開演 charge1500円+drink

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    玉置浩二ツアー・ラスト
    0
      雲母書房のS君と共に東京国際フォーラムへ。
      いろいろな時期の代表曲を取り入れていく中、
      ファンキーな「発散だー!!」が、見事なアクセントになっていた。
      個人的には「あの頃へ」「カリント工場の煙突の上に」「しあわせのランプ」
      などで、どっぷりはまる。

      「UNISON」「夜想」など、聴きたかった曲もいろいろあるけれど、
      ま、だからこそ次が楽しみになるってなもんです。

      終演後はコアなファンの集いに参加。
      あそこまで歓待されちゃうと、つい嬉しくてはしゃいでしまいます。
      僕のCDまでお買いあげいただき、どうもありがとうございました!
      posted by: | ライヴ | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      アーバン・タイフーン・プレゼン
      0
        月曜から木曜までの短期決戦で僕が参加したワークショップは、
        オーストリア人、韓国人、日本人からなる6人のチーム。
        火曜日にはなぜか僕の部屋に集まって打ち合わせ。

        下北沢の記憶を探るというコンセプトのもと、
        僕の部屋の大家さんも含む12名へのインタヴュー。
        超ローカルかつインターナショナルな道行きが楽しい!

        そして木曜は芝居っけたっぷりのパフォーマンスで結果発表。

        全部で14のワークショップがあった中で、
        あえて超アナログなパフォーマンスが妙に受け、
        チームリーダーだった早稲田大学の先生もご満悦。

        そのまま怒涛の打ち上げに突入し、30時まで踊るオホゥの群れと化す。
        posted by: | - | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        今後のライヴ情報
        0
          アーバン・タイフーンのワークショップと並行して、
          フジロックのミーティング、そして月末〆切地獄。
          必然的に睡眠時間を削るしかない。
          めちゃくちゃ眠いが、今後のライヴ・スケジュールのための連絡も多々。

          7/30(日)正午〜 フジロック @アバロンフィールド

          それからちょうど一ヶ月後の
          8/30(水)午後8時〜 高円寺 稲生座にてバンド編成でのワンマン

          詳細は決まり次第アップします。
          posted by: | 音楽活動 | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          トーク・セッション
          0
            7月1日 14:45〜16:45
            6/30〜7/2にかけて行われるカルチュラル・タイフーンの一環で、
            以下のトーク・セッションに参加します

            「下北沢の音楽シーンを問う〜Interrogating the musical scene of Shimokitazawa」於ミモザホール
            司会者/コメンテーター:九谷浩之(立教大学非常勤講師)
            報告者: 古閑裕(K・O・G・A Records)
            西村等(Shelter )
            二位徳裕(Club Que)
            吉村秀樹(仮) (Bloodthirsty Butchers )
            志田歩(“Save the 下北沢”)
            参加費3日間 ¥2,000 ( 大学等研究機関の有職者 ¥5,000)
            * 事前申し込み不要。

            詳細はhttp://www.cultural-typhoon.org/jp/program.html
            をご覧下さい。

            さらにそれに先駆けてアーバン・タイフーンが本日より開催!
            こちらはすごく大雑把に説明すると国際的なワークショップが集合した文化祭のようなもの。詳細はhttp://www.urbantyphoon.com/registrationj.htm
            連日宴会必至。
            友達何人できるかなってな一週間の幕開けであります。
            posted by: | - | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            舞台「阪神淡路大震災。」
            0
              シモキタ関係の仲間からお誘いを受けて気になっていた舞台「阪神淡路大震災。」。
              久々に衝撃的な演劇を見てしまった。

              結論を押しつけるのではなく、生の舞台ならではのエクスペリメンタルな説得力で、
              観客ひとりひとりに問いを投げかけてくる。

              地震そのものの怖さもリアルに伝わってきたけれど、
              その後の被災者とボランティアの関係への突っ込みも生々しかった。

              またでかい道路が渋滞して緊急車輌の役に立たなかったこと、
              震災を区画整理の機会に利用しようとする行政への被災者の怒りなどは、
              シモキタの問題ともリンクする点がいくつもあることに気が付いた。

              これから見る人のためにネタバレは避けますが、
              「満月の夕」の使い方も素晴らしかった。

              今回の東京公演は火曜で終わりだけど、まだまだ今後もツアーは続くらしいので、
              チェックしてみて下さい。
              http://tacoashi.com/kobe/

              posted by: | 雑記 | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              手応えあり
              0
                ご来場のみなさま、どうもありがとうございました。

                もっと短いステージならやったことがあるけれど、
                全くゲスト無しの独りだけの弾き語りで30分のステージというのは、
                実は生まれて初めてでした。

                でもアンサンブルで先月のような密度の演奏をしちゃった後だと、
                あれをなぞりがちになりそうなので、
                あえて違うフォーマットに挑むには良い機会だったかも知れない。

                選曲はギリギリまで変更の連続。
                はじめは「常夜灯」を核にしたしみじみ路線の選曲でいこうと思っていたのだけれど、
                誕生祝いの流れがあることを知って、
                久々の「バースデイ・ソング」を選曲に加え、
                さらにネット・ラジオの関係でタイム・テーブルに支障をきたさないように、
                本来の1曲目を削って、のっけからパーティ・モードに変更。
                それで時間の余裕があったら一番えぐい「I LOVE YOU」を最後にやろうと思っていたら、本当にその通りにできて、大満足。
                まさかと思った「I LOVE YOU」の大合唱には、内心鼻の下を伸ばしながら大喜び。

                あの場や客席の温かさに助けられたのはもちろんだけれど、
                他のプレイヤーの助け無しにあそこまで爆発的な盛り上がりを体験できたのは、
                やはり自信になります。

                あそこまで選曲を替えることができたのも、
                他のプレイヤーの都合を考えなくて良かったから、と思うと、
                ひとりでやることのメリットも知ることができた。

                あんな感じで場内の方といっしょに楽しい時を過ごせるのなら、
                友達のいる地方に旅行がてらギターを持っていって、
                歌って帰ってくるってのもありかな?
                posted by: | 音楽活動 | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                生中継
                0
                  6月24日(土) アコギな奴ら
                  ネットラジオにて実況生放送決定!
                  20:30~23:00 http://livemedia.co.jp/radio/
                  posted by: | ライヴ | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  カーネーション・インタヴュー
                  0
                    次号のMUSIC MAGAZINEのための取材でカーネーションのインタヴュー。
                    普段だったら直枝さんだけの取材が多いのだが、今回は事務所の独立&レーベルも設立というタイミングなので、事務所の代表取締役となった本根さんにもコメントをいただいた。CCCD絡みのトラブルがあって独立という流れは、佐野元春と同じ。
                    あの時の編集者も今回と同じく さいきさんである。
                    さらに今回のカーネーションの新作のブックレットの写真は石田昌隆さん。
                    小さな偶然の積み重ねを噛みしめつつ、楽しい取材となった。
                    posted by: | 原稿 | 02:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    さらに別の書評〜読者からのメールをもらって
                    0
                      今日はある読者の方からいただいたメールについてご紹介したい。
                      メールをくれた小林亮太さんは、5月27日に「私、幸いなことにうつ病を患っています。」(幻冬舎ルネッサンス)という本を出版されたばかり。

                      作業療法士という国家免許を持ち、リハビリテーション活動や作業療法士を養成する学校の教員をしておられる彼が、今回出版された本は、彼自身の精神障害のことを書いたノンフィクション。

                      作業療法という仕事は、とにかくありとあらゆる作業を使って身体や精神の障害をなんとかしよう、治らない部分があってもそれはそれでその人なんだから、きちんと認めてその人が「幸せだ」って言って生活していられたらそれでいいじゃないか、というような考えに基づいた治療法のひとつ、とのこと。

                      以前から玉置浩二と彼について書いた僕の文章に関心を持っていた経緯は、
                      http://www.h7.dion.ne.jp/~ryota/sub2.html
                      で彼自身が書いている。
                      メールの内容は、そのウェブ上のテキストを原形にした僕の本の書評を「機関紙作業療法」という日本の作業療法業界の学術誌の8月号に掲載されることが決まったというお知らせで、原稿も拝読した。
                      いわゆる「書評」という言葉から連想する内容とはだいぶ異なる文章ではあるが、
                      小林さんの仕事の現場に対して、僕の本がなにがしかでもお役に立てたことを嬉しく感じている。



                      僕自身本を出して以降、多くの方から連絡をいただくことが増えているが、
                      そうした中には、ご自分の精神的な痛みを抱えている方もいる。
                      僕のライヴに行こうとしたのだけれど、ウツがひどくてダメでした、すいません、みたいなメールも何件かあった。

                      また直接お話する機会があった方の中には、
                      彼の音楽が無かったら、自分は今、生きていなかった、というような方もいる。

                      もちろん僕の本は精神医学に特化した内容ではない。
                      さらにウツ云々と関係なく、単純に玉置浩二の音楽が好き!
                      という人もものすごくたくさんいるのだけれど、
                      色々な方とお話する中で感じたのは、
                      「命の恩人」というレベルで玉置浩二に惚れ込んでいるコアなファンの方は、
                      僕が玉置の音楽に対して感じた“得体の知れない凄み”のようなものを、
                      直観的に理解しているということだった。

                      それゆえに僕が本を書く中で心掛けたのは、
                      1 玉置ファンであるかどうかを問わず、多くの人が読む価値のある内容にすること
                      2 コアなファンの方が読んで白々しい美辞麗句が並ぶようなものにはしない
                      という2点だった。


                      僕自身の感覚で言うと、深く染みてくる音楽は、玉置浩二に限らず、
                      アーティスト本人が自分の心の痛みを受け止め、
                      そこから立ち直るプロセスから生まれたものが多い。
                      極端な場合は放蕩の限りを尽くしているようなロック・ミュージシャンが、
                      ドラッグで死にかけた時に作った曲に、ものすごくはまってしまうことも珍しくない。

                      そこには本人の切実な痛みがあるゆえに、決してキレイゴトにならない。
                      むしろ受け入れた孤独が深ければ深いほど、それが通じた時の共感も深くなっていく。

                      「ほんとうのことを 歌う」っていうのは、そういうことだよね?

                      僕自身、学生時代の親友に自殺されるという事件が無かったら、
                      この歳になっても音楽活動を続けるなんてことはなかったと思っている。
                      あの苦痛はマネゴトではなく、初めて歌った「ほんとうのこと」だった。

                      それがこうじて今に至っているわけだけれど、
                      友達を失ったことは、いまだに悔しい。
                      あんな事件が無ければ無い方がよいに決まっている。

                      でも、すでに起きてしまった以上、
                      それを受け止めて前に進むことが、彼の死を無駄にしないことになる。
                      そんな風に自分を言い聞かせながらやってきちゃったんだな。

                      「いつも元気」とかって言われるけれど、そんなことはないですよ。
                      アップダウンが激しくて、いつもジタバタしてます。

                      さらに森達也風にバクロしてしまうと、
                      僕自身もヘヴィなできごとにでくわしたり巻き込まれたりした時に、
                      「他者に対して優しくなれる自分」と「自分にもやるべきことがあるんだ、
                      って自己陶酔するような意地汚く後ろめたい自分」の両方がいる。

                      でもウツであることに自己嫌悪するよりは、
                      意地汚く心がざわめく方にアクセルを踏み込んで、
                      いろいろな痛みを無駄にしないように作品にしたいと思っている。

                      小林亮太さん
                      出版おめでとう!
                      posted by: | 原稿 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                      書評の話、あるいは表現行為につきまとううしろめたさについて
                      0
                        現在発売中の「ロック画報24号」に、「玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから」の書評が掲載された。
                        書いているのは川村恭子さん。

                        「押しつけがましさはなく読みやすい」とか、
                        「玉置浩二を知らなくても読み物として楽しめる」とか、
                        「こうした本はこれまであまりなく、新たな一歩を踏み出した」とか、
                        内容についてはかなりお誉めいただいている。

                        そしてその上で、現在の音楽のジャーナルのあり方の限界として、
                        これらのような本が特定のアーティストのファンだけでなく、
                        良質の本読みに届くためには、まだ何かが必要だ、
                        という問題提起まで行われている。

                        まさに僕が理解して欲しかったポイントを
                        ずばりと書いてくれている!

                        この書評を読んで、
                        僕がウェブ上であえて不作法にも映りかねない振る舞いに及んだのは、
                        「まだ何かが必要だ」と知りながら、それでもなお、無謀にも「音楽のジャーナルの限界」に挑みたかったからなんだな、と腑に落ちた。




                        突然話は変わるようで、実は変わらないのだが、
                        先日、オウムを素材にしたドキュメント映画「A」「A2」の監督である森達也が書いた「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」(晶文社)を読んだ。

                        ドキュメンタリーやノンフィクションについて「客観や中立などは世相のバランスでしかない。主観がなによりも重要なのだ」という彼の姿勢に僕は心底共感する。

                        とはいえ森を前にすると、僕は自分のスタンスの甘っちょろさも感じざるを得ない。
                        映画そのものを見ない批評家から、
                        「オウム擁護」の作品だとレッテルを貼られた時に、
                        「まず作品を見て欲しい」と彼は言い続ける。

                        本そのものを読まず
                        「玉置浩二擁護」の作品だとレッテルを貼られた時に、
                        僕も「まず本を読んで欲しい」と言う。

                        だがなんといっても、僕と森では貼られるレッテルの危険性が圧倒的に違う。

                        さらに言うなら森は別にオウムを擁護しているわけではなく、
                        僕は玉置浩二の凄さを知らしめたいというところが出発点になっているので、
                        取材対象との緊張感もけた違いだっただろうと想像する。

                        森は表現行為全般を可虐性から逃れられないと観念し、
                        だからこそ共感や感動を与えられるのだという。

                        社会から思考停止が本当に解除されたら、自分の作品の存在意義はその瞬間に消える、と感じる森は、本気で社会に対して怒る時もある。
                        だが同時に「これを次の素材にしよう」と姑息に考える時もあると告白し、それは二者択一ではなく、グレイゾーンでいつもふらふらしているという。
                        それが自分の「業」だと覚悟し、そんな負い目そのものを、胸を張って提示する。

                        僕自身もそのような姑息さ、あるいは意地汚さは持っているけれど、
                        これまでの文脈では、森のように堂々と提示してはこなかったと思う。
                        せいぜいあの本の中で玉置浩二の凄さと表裏一体のヤバサに触れたり、
                        解釈の仕方を観客に任せられる自分の歌詞でほのめかすくらい。

                        我ながら軟弱だ。

                        「文章を書いたり歌詞を書いたりすることって、やましさや後ろめたさがつきまとうじゃない?」
                        僕がそんなことを言った時、
                        あるミュージシャンは、こんな風に彼自身の姿勢を語ってくれた。

                        「いやもう、常日頃、圧倒的に後ろめたい! いつもそうだよ」

                        だからこそ、自意識に囚われてるかどうかなんて、
                        どうでもよくなっちゃうようなインスピレーションに身を任せる時の純粋さは、
                        これからも信じていきたいと思う。



                        酔っぱらいの書き殴りみたいなトリトメのないテキストになってしまったけれど、
                        こんな言葉を連ねるきっかけを与えてくれた川村恭子さんに感謝します。
                        posted by: | - | 13:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |