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★2016年10月20日(木)
新宿Live bar∞Strength
志田歩弾き語りソロ
C/W 星野裕矢、ウルル順、柴田健斗、Maasya、too,two


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    「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード3〜亡き父との対決〜
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      劇団「ほぼ無職」のために脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」を書き下ろすプロセスから生まれた副産物を綴っていくエピソード・シリーズの第三弾。
      今回は少々ヘヴィなテーマ、ご興味のある方だけでもお付き合いいただければ幸いです。

      「シモキタ駅前今昔物語(仮)」に出てくる重要人物のひとりに、田中英光という小説家がいる。
      太宰治を師としてあおぎ、終戦直後は共産党員として熱心に活動するが、挫折した後は妻子を家に残したまま新宿で娼婦と同棲。太宰が1948年に愛人と心中した後は、睡眠薬の中毒になって、精神病院に入院したり、錯乱して同棲中の愛人を刺し、そのスキャンダルによって原稿の依頼が増えるというパラドックスの中、もの凄い勢いで作品を書きまくり、「さようなら」という作品を発表した1949年11月に37歳という若さで太宰の墓の前で自殺してしまった。

      この田中英光の実子が、SF作家としての活躍で知られる田中光二。
      今年の3月には彼もまた田中家の(つまり田中英光の)墓の前で自殺を図り、病院に運ばれている。
      その田中光二が、自分の心の中の父親と向かい合って書いた小説が、1991年に発表した「オリンポスの黄昏」で、このタイトルは父親である田中英光が小説家として世に認められるきっかけになった「オリンポスの果実」に由来している。
      (「オリンポスの果実」というタイトルは、太宰治が提案したもの)

      まことに失礼ながら、正直言ってはじめは「因果な親子だな」というような軽はずみな気持ちも持ちつつ作品に接していたのだが、自分の父親との関係を振り返ってみたら、途中から人ごとではないような気になってしまった。

      というのは、田中英光ほどメチャクチャな父親ではなかったけれど、僕にとっての父親も、家族としては非常に厄介な存在だったからだ。しかも共産党をやめたことについてのややこしい感情を抱えていたという事情までも、田中家の場合と共通している。

      僕が父を亡くしたのは大学生の時。
      その大学の選択についてはいくつかの条件があった。
      ひとつは戦後の混乱と弾圧の中で大学を中退し、強い学歴コンプレックスを持っていた父親のプライドを満たせること。もうひとつは僕が父親との距離を確保するため、実家からは通えない場所にあること。
      当然後者については父親には極秘だった。
      今思えばきちんと人対人として対峙することを避ける卑劣な選択だったかも知れない。
      だが、父親自身が自分の父親である祖父と対立して喧嘩、家出、そして祖父の死ぬ間際まで絶縁。さらに実の兄弟とも感情的にこじれると何十年も絶縁してしまう“意地っ張り”ぶりを目の当たりにしていた僕は、「この人と正面衝突したら一生家族的な関係を壊してしまうかも知れない」と脅え、あくまでも“合法的”に、父親との距離を確保する道を選んだ。
      家族に対する父親の振る舞いは、自分の中では完全に反面教師とした。
      僕が大学入学後に父親の前で抜け抜けと民青の悪口を言ったりしたのも、今考えると陰湿な逆襲だったように感じる。
      「……おやじ、ごめんな」

      父親を亡くした時は、僕の就職などを巡って悲惨な喧嘩をしたりする機会の無いまま、表面的には良好なままで親子の関係を終わらせることができたことに安堵する一方、自分の情の薄さに自己嫌悪したりもした。
      葬儀の終盤、棺桶に資本論の文庫本を入れた時、「損な選択ばかりしてたけど一途な人だったんだな」と思ったら、父親の死後初めて涙が出た。
      そこでようやく「家族としては厄介だったけど、自分は決して人としての父親を嫌っていたわけではなかった」ことに気が付いて、少しだけ自分を許せるような気がしたものだった。

      田中光二も「自分の父親を反面教師にしてきた」とか「父親は自分とは無縁の存在だと思い込むようにしていた」と述べている。だがそれではいけないのではないかと思うようになって「オリンポスの黄昏」を書くことによって、徹底的に父親と向かい合った。

      「オリンポスの黄昏」を読み終わってから、僕はふと「田中光二は何歳の時にこれを発表したのだろう?」と気になって確認してみた。
      すると彼が「オリンポスの黄昏」を発表したのは、
      まさに今の僕の年齢の時だった!!ことが判明。
      これには思わず背筋がゾクッとした。
      僕は母親とはきちんと人対人として向かいあった時間を共有したうえで死別したという実感があるが、父親に対してはコトナカレで済ましてしまったような負い目がある。
      ひょっとしたら僕にもそのツケを払うべき時が来たのかも知れない。

      先日、ザ・スズナリの野田治彦さんのアドヴァイスを受け、座長との打ち合わせを経て、今月は「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の改訂(=二稿制作)に取りかかる。
      この作業には、そういうハードルも意識しながら取り組むつもりだ。
      とはいえ、田中光二にしても、「オリンポスの黄昏」を発表してから20年も経った後に、墓の前で自殺しようとしたわけで、そう簡単に一件落着とはならないという覚悟も持って臨むべきなのだろう。
      その先に待つものは何なのか分からない。
      だが今はただ、この課題に挑んでみたいという欲望が、頭をもたげている……。




      posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 03:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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