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★2016年10月20日(木)
新宿Live bar∞Strength
志田歩弾き語りソロ
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    「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード1〜ヤマギシガイシという男〜
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      「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の資料として色々な本を読むうちに、僕にとって興味深いテーマがいくつか浮かんできた。それらをエピソードとして書きとめ、備忘録としたい。

      エピソード1で注目したいのは、評論家の山岸外史(ヤマギシ・ガイシ)。今回の脚本の中には登場しないのだけれど、1934年に太宰治や檀一雄たちと共に同人誌『青い花』に参加した人物だ。

      太宰は「東京八景」の中で、こんなことを書いている。
      「純文芸冊子『青い花』は、そのとしの十二月に出来た。たつた一冊出て仲間は四散した。目的の無い異様な熱狂に呆れたのである。あとには、私たち三人だけが残つた。三馬鹿と言はれた。けれども此の三人は生涯の友人であつた。私には、二人に教へられたものが多く在る」
      つまり親友だったわけですね。

      で、この山岸外史が書いた「人間太宰治」という本を、脚本の参考にしようと読んでみたら、めちゃくちゃ面白い。本も面白いがこれを書いた“人間山岸外史”が、もっともっともっと面白い!

      まず、ガイシが太宰と親しくなるきっかけ。
      知人から「『青い花』という名前の同人誌を作ろうとしている人間がいる」と聞いて、そのタイトルに感銘を受け、いきなりその日のうちに太宰の自宅に押し掛けるのである。
      『青い花』というタイトルは、18世紀後半のドイツの文学者、ノヴァーリスの小説のタイトルで、ロマン主義を象徴する言葉だった。そのシグナルに熱狂的に反応したというわけだ。
      太宰宅に向かう電車の中で、ガイシはこんなフレーズを思いつく。
      「われら、太陽のごとく生きん」
      これはまぁ分かる気がする。当時の太宰は25歳、ガイシは30歳。
      まだ青春してるぜって感じ?

      しかしガイシの閃きはさらにエスカレートしていく。
      「暫くひとりで考えていると、またひとつの言葉がうかんできたのである。
      <われらは、神なり>」
      ちょっとちょっとガイシさん、いきなり神ですかぁ?
      そしてまだ太宰に会う前から
      「これを『青い花』の扉の句にしようとぼくは決心しはじめていた」
      おっさん、ちょっと待たんかい!
      そして出向いた太宰宅はちょうど夕食時。
      ガイシは当時の太宰の妻だった初代からうさんくさそうに見られながらも、二階に上がって食事が済むのを待ち、その後太宰と何時間も文学論をたたかわす。
      結局その“閃きのフレーズ”は使われることはなく、ガイシはかなり不満だったようだ。

      僕自身もテンションがあがると押しが強くなる傾向は自覚しているけれど、ガイシに較べたらなんとも穏やかなものだ(と思う)。しかもガイシはそれをまるで人ごとのように、あるいは当然のことのように書いている。
      う〜む、恐るべしヤマギシガイシ!
      結局、「青い花」は創刊号のみで廃刊。だが二人の交流は激しく続いていく……。

      僕がガイシに親近感を持ってしまうポイントは他にもある。
      「人間太宰治」の中でガイシは批評家という立ち場をグチったりもしている。
      やれ、作家に隷属するような位置に座らせられてしまうだの、作家より一段下にいる人間のように考えられやすいだの、原稿料が安いだの……。
      まるで音楽業界のライター業そのままである。
      うんうん、その気持ち、良く分かるぜガイシ!
      だが彼はもの凄くプライドが高かった。
      「山岸外史は太宰の取り巻きだ」という陰口を叩かれると、ならば太宰と絶交して誰とも馴れ合わない批評家だということを見せつけようとするのである。
      もう、ガイシったら、理屈と情のバランスが変!
      この時は太宰が「君は、ぼくが好きじゃないのかい」とベタな口説き方をして思いとどまらせている。友情ですね〜。

      だが終戦後の混乱の中で、二人は交流を断ってしまう。
      ガイシは戦後にふさわしい新しい価値観を確立しようとして東京を離れ、農村で農業に従事しながらペンをとっていたが、努力のわりに、文壇からはリタイアしたようなポジションになってしまう。そうしたガイシから見た当時の太宰の作品は、滅びの道を進んでいるように映り、共感できない。
      ガイシが太宰に最後に送ったハガキには、こう書いてあった。
      「世の中で最も美しい言葉は、さようならである」
      太宰はそのハガキに激怒したらしく、返事を書くことはなく、そのまま付き合いは途切れてしまう。
      互いの進む道が違ってしまったことを分かった上での別離だったのかもしれない。
      太宰の死後、彼の弟子であった田中英光は、まさに「さようなら」という作品の中で、こんなことを言っている。
      「『グッドバイ』『オォルボァル』『アヂュウ』『アウフビタゼエヘン』『ツァイチェン」『アロハ」等々――。
       右はすべて外国語の『さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の『さようなら』のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。『さようなら』とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ。」
      なんだか付き合いを断ってしまったガイシへの当てつけのようにも読み取れる。
      太宰が心中で他界した後、残された妻である津島美知子は「山岸さんが東京にいたら、太宰は死ななかったものを」と嘆いたという。
      また太宰自身も遺作となった「グッド・バイ」のタイトルについて、仕事場の大家から「日本語のさようならにすべきだ」と言われた時、頑として「グッド・バイ」でなければいけない、と言って譲らなかったという。
      これはう〜ん、太宰もガイシも文士の矜持というべきか、意地っ張りというべきか、微妙なところですね。

      さて、このように太宰と絶交状態だったガイシだが、太宰が死ぬ四ヶ月ほど前に、一度だけ太宰と言葉を交わす機会を持っている。別件でガイシが太宰の家の近所まで行くことを知った妻や周囲の人間が口を揃えて「太宰と逢うべきだ」というのに言い負かされた形でそれは実現した。
      しかしこの生前最後の訪問も型破りである。
      ガイシが前触れも無くふたりの文学仲間を連れて太宰宅を訪れたのは深夜の午前二時!
      結核に苦しみ寝込んでいた太宰にガイシはこう切り出す。
      「太宰、葬儀執行委員長は、おれかネ?」
      ヒエ〜〜ッ!!
      だが、これに対する太宰の答えも凄い。
      「いや、まだ、早い」
      互いの定めを分かり、愛おしんでいながらも、言葉で闘うことでしか親しみを表明できない三馬鹿のうちの二人。
      結局、太宰は起きだして朝の六時まで酒を酌み交わしたという。
      帰り際にガイシは、太宰の妻から「こんどは昼間、おいで下さいまし」と皮肉を言われている。
      そりゃ〜そうですよね。文士の奥さんは大変だ。

      しかし、ガイシの言葉への責任感、っていうか愚直さは尋常ではない。
      1948年6月、太宰が山崎富栄と玉川上水に入水自殺したのを知ると、ガイシは太宰宅のある三鷹に駆けつけ、遺体の捜索にも参加している。だが、周囲の人々から見るとガイシは都落ちしてしまった文壇のはぐれ者。お通夜の場でも酔っぱらって顰蹙を買っている。そして葬儀も終わり、大半の人が帰って、葬儀屋が祭壇を片付け、葬儀委員長だった豊島与志雄が帰ろうとする間際になってこんなことを言い出す。
      「おかげさまで、無事に葬儀もおわったのですが、どうか『これより葬儀委員長を山岸外史に命ず』とひと言いって戴きたいのです」
      お前はアホか〜〜!!
      だが僕はこのくだりを読んでいて、思わず泣きそうになった。
      事情を知らないはずの豊島与志雄も何か感じるところがあったのだろう。
      「わかりました。これより葬儀委員長を山岸外史に命ず!」と生真面目に言って帰っていったそうだ。

      本当なんだろうか? 話を面白くするために誇張している部分があるのでは?
      だが事実がどうであろうと
      こんなことを書いてしまうガイシが、僕は大好きだ。
      そしてガイシは(まだ正確なタイミングが調べられていないので、太宰の死との前後関係が断定できないのですが)戦後に「青い花」を復刊。
      このあたりに僕は、オリジナル・メンバーが欠けた後、それでもあえて再結成するロック・バンドにも似た気概を感じてしまうのである。





      ○2012年10月08日(祝)下北沢lown
      志田歩 with kubotti VS 六弦詩人義家
      18:00スタート
      1500円+オーダー



      posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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