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駒ヶ根の県議選終了2023.04.12 Wednesday
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今回の駒ヶ根市の県議選の投票日は4月9日。
開票が始まる夜になると、選挙事務所の空気も緊張感が漲る。
開票が行われているのは、事務所からすぐそばの駒ヶ根市役所だが、途中経過がなかなか出てこない。
やっと発表された時は思わず息を飲んだ。
かなりの接戦である。
事務所にどよめきが走る。
だが僕はこの時点で、それまで重苦しさがあった事務所の空気が、風通しの良いものになったように感じていた。
事務所にいた人たちそれぞれがどうだったのか。そして候補者本人はどうだったのか?
それはひとりひとりに確認しなければわからないが、少なくとも僕はそう感じていた。
そして22時を回った頃、結果を伝える画面が出た。
思わずあちこちから悔しさに声があがる。
だが悲壮感はない。
そして「お疲れ様でした!」の声と共に大きな拍手が湧いた。
今回の選挙の準備に着手したのは今年に入ってからで、組織力のある現役議員に挑む定数1の一騎打ち。
苦しい闘いになるのはあらかじめわかっていた。
そうした中で「ここまでやった」「ここまでできた」という気持ちが、この拍手に込められていたのだと思う。
そしてこの選挙、議席の獲得には至らなかったが、そのプロセスで獲得された大切なものがある。
それはこうした一連のアクションによって、新たに構築された人間関係だ。
そして翌日の4月10日、僕もその恩恵に預かることになる。
spin-off「THE FOOLS MR.ロックンロール・フリーダム」:駒ヶ根サイケデリック(北川哲生さんとの再会) に続く
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2011年の下北沢から2023年の駒ヶ根へ2023.04.02 Sunday
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2011年の春の統一地方選は、東日本大震災直後の緊張もあって、あまりにも特別な体験だった。
この時に僕が応援したのは世田谷区の区議会議員だった木下泰之さん。そもそも彼との出会いがなかったら、下北沢の再開発問題を知って、“Save the 下北沢”というチーム名を考案し、そのインサイダーとなることもなかっただろう。
以下の写真は2011年の統一地方選で、木下候補の遊説に、ギターを添えて下北沢を練り歩いた時のもの。
この選挙のためのパンフレットの「脱原発時代を切り拓く みどりの先進国を世田谷から」というコピーを、原発事故の報道にハラハラしながら木下さんの事務所でアイデアを出し合って作った時の記憶もいまだ鮮明である。
……あれから12年。
木下さんも僕もお互いに母を亡くし、お互いにそれぞれの母親の暮らしていた実家へと拠点を移していた。
2022年12月、僕は長年の懸案であった「THE FOOLS MR.ロックンロール・フリーダム」をようやく出版することができ、ほっと一息つこうかというタイミングで、僕は木下さんから「駒ヶ根に応援にきて欲しい」というリクエストを受けた。
そして3月から東京と駒ヶ根を行き来する慌ただしい日々が始まった。
とはいえ、いざ赴いてみると、駒ヶ根はそんな慌ただしさを忘れて見惚れてしまうほどの素晴らしい景観に恵まれている。
彼が出馬する長野県議会議員選挙の駒ヶ根市区は定数1。
2011年以降の12年間は立候補者が現れずに無投票当選が続き、その間に議員を務めてきた人物は旧統一教会と深い関わりがあり……しかし相変わらず対立候補は現れず……という状況がわかるにつれ、穏やかな生活を求めて故郷に帰ってきた木下さんの胸中はざわめき始める。中でも決定的だったのは彼の二人の娘さんから突きつけられた「お父さん、このままにしておいていいの?!」という言葉だったという。
そして木下さんの出馬は現地に多くの話題を投げかけることとなった。
例えば信濃毎日新聞は、駒ヶ根市民のことを「無投票にならなかった幸運な選挙区の有権者」と書いている。
無投票当選が恒例になってしまうのは望ましいことではないが、市民の「候補者選択の自由」を確保するためには、今回の木下さんのようなアクションを起こす者が必要なのだ。
また長野日報は一面トップで駒ヶ根市区を「一騎打ち」と報じている。
アイデアを出し合いながら候補者の想いを反映した文言を選択する作業は、クリエイティヴな刺激に満ちている。そして特殊な体験だと思っていた顔合わせで、12年ぶりにそんな機会が再び巡ってくることには不思議な感慨も伴う。ひょっとしたらバンドの再結成とか、あるいは「玉置浩二★幸せになるために生まれてきたんだから」で触れたソングライターと作詞家のやりとりに通じるような部分があるかもしれない。
こうした作業を経て、候補者の主張を簡潔に記した二種類のノボリが完成!
今回の選挙の争点について信濃毎日新聞は、こんな風に報じている。
そして素晴らしい仲間の連携によりPR動画が完成したので、この記事の締めにご紹介しておきたい。
駒ヶ根に知り合いがいる方は、ぜひぜひお知らせいただければさいわいです。
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10月16日 ラウンドテーブルへの画期的な前進〜北沢PR戦略会議(仮)2016.10.16 Sunday
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先月の“SHIMOKITA VOICE”にて保坂区長により「下北沢のまちづくり全体を話し合う場」とアナウンスされていた“北沢PR戦略会議”が開催された。
会場は満員の大盛況!
しかもこの会議、これまでの経緯から見ると画期的なものとなった。
本当に立場や利害が異なる人々が、互いを排除することなく各々の選んだテーマで熱心に情報交換、意見交換をして、有効なまちづくりのためのアイデアを寄せあおうとしている。 しかも以前は腫れ物扱いだった裁判関係の話題もタブーにされず、その和解の成果も情報として共有し、今後のまちづくりに反映させていこうという内容だったのだ。
今回はその第一歩が始まったに過ぎないが、以前だったら目をあわして会話することすら困難だった顔ぶれが、同じテーブルで話し合う光景は、これこそラウンドテーブルの幕開けというにふさわしく、実に感慨深いものがあった。
思い返してみれば、2006年の10月18日は、当時既に差し止め訴訟が始まっていた補助54号線を東京都が事業認可し、都市計画審議会では地区計画が強行採決された忌まわしい日であったが、それから10年の歳月を経て、こうした会議が行政の働きかけにより実現する時が来るとは!
僕よりもこの街の課題に長く取り組んできた方々の胸中には、さらにこみ上げるものがあったに違いない。
ちなみに今回の参加者からは「まちづくり全般を話し合うのであれば“北沢PR戦略会議”という名称は相応しくない“北沢戦略会議”で良いではないか?」という意見もでた。それに対して仕切る側の応答は「それでは当面の仮称ということに」という柔軟なもので、こうしたやりとりがなされることも感動的であった。
立場が異なる者同士が合意形成していくのだから、今後も様々な局面があるだろうとは思う。
だがこの日の熱気が、まちづくりの実践に活かされるのであれば、今後の下北沢が世界中から人気を集める街となり、他の地域に良い影響を伝えていくことも夢ではないだろう。
この会議の実現のために奔走された方、参加された全ての方の努力に敬意を払うと共に、喜びを分かちあいたいと思います!!!
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下北沢から観測した築地市場移転問題2016.10.13 Thursday
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ご存知の方も多いと思いますが、築地市場の移転問題に関する報道が大きな注目を集めています。この決定が都議会でなされたのは、東日本大震災が起きた2011年3月11日の午前のことでした。それまでは賛成と反対が拮抗していましたが、移転に反対する立場だった民主党の花輪ともふみ議員(当時)が賛成に回ったため、わずか一票差で移転が決定したといういきさつがあります。
花輪氏は世田谷区代沢、つまり下北沢の出身で、世田谷区議会議員となった後、東京都議会議員となり、築地に関する特別委員会の委員長を務めていた人物。当然のごとく民主党からは「裏切者」と呼ばれることとなりました。
さらにその直後の4月、花輪氏は自民党都連(自由民主党東京都支部連合会)の推薦を受けて世田谷区長選挙に立候補します。これに対しては民主党だけでなく、世田谷区の自民党員も反発しました。「なんで自民党都連は、世田谷区の自民党を差し置いて、ついこの前まで民主党だった人物を世田谷区長候補に推すんだ?」といったところでしょう。そのため世田谷区議会で議長を務めていた川上和彦氏も、自民党世田谷総支部の支援を受けて世田谷区長選挙に立候補。かくして2011年の世田谷区長選における自民党は、分裂状態になったわけです。
こうした中でシモキタ問題の関係者をはじめとする世田谷区の市民運動団体は保坂展人氏を区長候補に擁立。その結果、保坂氏が当選して保坂区政のスタートとなり、現在にいたっているわけですが、その選挙戦の最中に、象徴的なできごとがありました。花輪候補が危ういのでは?という気配が見え始めたタイミングで、当時の都知事である石原慎太郎氏と花輪氏が握手している写真をメインにあしらえた自民党のチラシが、区内で大々的に配布されたのです。
都知事時代の石原氏は築地市場の移転を強力に進めていただけに、このチラシは築地市場の移転問題と世田谷区長選が駆け引きの材料に使われているという印象を強めるものでした。シモキタ問題と築地市場移転反対の運動関係者間では交流が盛んだった時期もあります。シモキタ問題の関わりからは、異なるエリアの問題であっても、リンクする部分が少なくないと感じていましたが、改めてそれが可視化されたわけです。
それから5年を経て、新たに就任した小池百合子都知事の采配により、移転の責任の追求は石原氏にもおよぼうとしています。世田谷区長就任後の保坂氏は、これまで区政の運営に関して東京都からのプレッシャーや自民・公明が多数を占める区議会への対応で苦慮することが少なくありませんでした。今回の築地市場移転問題の動向は、マスメディアからは表立って報道されにくい領域に潜みつつ、都政や区政に大きな影響を与えてきた巨大なパワー・バランスに変化が生じたことを示唆しています。5年前の区長選と今年の都知事選が、両方とも分裂選挙で自民党公認候補が敗北したというのは、単なる偶然ではないでしょう。
築地市場移転問題に関しては、会議録の改ざんも話題にのぼっていますが、重要なことを決める際には、議事録をきちんと作って公開することを前提としていくというのは、民主主義の基本です。「いまさら何をそんな当たり前のことを」と思う方もいらっしゃるかも知れません。しかしそんな当たり前のことが、世田谷区のまちづくりにおいてさえ、例えば「北沢デザイン会議」の議事録を作成しないといった具合に、ないがしろにされているのが実態です。
資本主義の行き詰まりと連動して、最近の世相は民主主義が劣化していく危険に瀕しているように感じられてなりません。そうした民主主義の劣化を食い止めるためには、当たり前のことが当たり前になされるように、各々の現場から働きかけていくことが大事だと思います。
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5/21 下北沢・開発見直し和解勝利記念パーティご報告2016.05.29 Sunday
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シモキタ訴訟の和解を記念する特別な場。
客入れのところから賑やかしをしていただいた大熊ワタル、こぐれみわぞうのお二方には、2006年01月18日下北沢 SHELTER“54号線の見直しを求める下北沢商業者協議会”記者会見のセッションでお世話になってから、いつもこの件にエールを送っていただいてきた。それから10年となる今回は、大木雄高商業者協議会代表の乾杯で場内がパーティ・モードになったところで、自分達の出番。
会場にはシモキタ訴訟の原告団、弁護団はもちろんのこと、元最高裁長官代行や内申書訴訟の弁護団長など、法律関係の重鎮がズラリ! 今回の和解の意義については、僕自身も現在発売中のMUSIC MAGAZINE6月号で記事を書かせてもらったが、今回の和解の持つ意味合いの大きさを改めて感じながら演奏させてもらった。セッションの申し出を快諾してくださった大熊ワタル、こぐれみわぞうのお二方に深く深く感謝します!
大熊ワタル with こぐれみわぞう + 志田歩
1 不屈の民
2 裸のワルツ
3 アモーレ下北
シモキタ問題がこうした局面を迎えることができたのは、多くの人の営為の積み重ねがあってこそ。その中には日頃街の中で、あるいは口頭弁論でのお馴染みの顔ぶれもあるが、久々にお逢いできた方もいる。その中でも僕が今回特に直接お話できて嬉しかったのが、福川裕一千葉大名誉教授だった。僕が福川さんに初めてお目にかかったのは2004年のこと。まったく居丈高なところがないにこやかで穏やかなお人柄に感銘を受けたが、その反面、補助54号線の話になると「俺が止めてやる」と、シンプルで頼もしいお言葉をいただいたことに感銘を受けていた。
それから12年の時を経て、彼が書いて下さった「福川意見書」は、まさに和解のための決定打となった。
水面下ではどれほどの苦闘があったのかは、僕ごときの想像では及ばないかもしれないが、シンプルな言葉をシンプルに実践する姿勢には、惚れ惚れとしてしまう。ご本人は「そんなこと言ったっけ?」とご謙遜なさっていたが、そんな畏敬の対象にお話させていただくことができたことも、僕としてはとても嬉しかった。
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シモキタ訴訟終了! パート42016.04.17 Sunday
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パート3から続く
◯今までとこれから
僕自身がNever Never Landのオーナー、松崎博さんに声をかけられ、シモキタ問題に関与するようになったのは2003年12月29日から。
その場で立ち上げた“Save the 下北沢”に参加したのが始まりで、2004年5月号のMUSIC MAGAZINEで記事を書かせてもらったのが、公のメディアでシモキタ問題が注目されるきっかけとなりました。
しかしその松崎さんは2005年4月に他界。
その頃の様子は「現代思想」誌に掲載した「下北沢を巡るネヴァーエンディング・ストーリー」に記してあります。
今回はそれから11年を経て迎えた大きな節目ということもあり、取り急ぎ最初にお世話になったMUSIC MAGAZINEには、5月20日発売の6月号でインサイダーとしての視点で報告記事を書かせていただくことになりました。
それとは別に10年以上におよぶ経緯を、まとめて記したいとも思っています。
こちらについては具体的なメドがついた時点で改めてお知らせさせていただきますので、よろしくお願いします。
そして4月30日には「松崎博13回忌とNever Never Landの軌跡を語る宴」が、Never Never Landで行われます。
僕自身も2004年に音楽葬で送った松崎さんに、ギターを持って今回の経緯をご報告できることには、深い感慨があります。
では、4月30日にNever Never Landで。
この間、お世話になった皆様とお会いできるのを楽しみにしております!
・志田歩ライヴのお知らせ
○4月22日(金)新宿Soul Kitchen
開場19:00 チャージ1500円+ドリンク代
C/Wウルル順、河村博司、玉城まさゆき
河村博司、玉城まさゆきのお二方とは、すでにこれまでにもジョイントさせていただきました。 今回は久々の弾き語りソロで臨みます。
僕の出番は20時25分からの予定。
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シモキタ訴訟終了! パート32016.04.17 Sunday
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パート2から続く
◯今回の成果を全国的な実りのあるものとするために
シモキタ訴訟は単に下北沢という街のあり方だけを巡るやり取りをしていたわけではありません。
鉄道の地下化・高架化と新規道路の建設とそれに連動する再開発をセットとする「連続立体交差事業」という国策のあり方を問うものでした。
この「連続立体交差事業」は、全国60箇所以上で行なわれている巨大な公共事業です。
例えば世田谷区の意見表明の1.にある「公共的な空間」という文言は、小田急線上部も公共事業、つまり税金により生み出された空間であることから使われています。
これらの意味を理解することは、シモキタ訴訟の成果を、全国的な実りとすることに繋がります。
そのためには記録の果たす役割も重要になってくる。
そうした中でタイミング良く刊行された本があるのでご紹介します。
「『共生』の都市社会学 下北沢再開発問題のなかで考える」三浦倫平 新陽社
文献ばかりに頼らず、様々な立ち場の人に膨大なインタビューを行なうことで、シモキタ問題を立体的に浮かび上がらせている。僕自身もインサイダーのひとりとして取材を受けたりしていますが、本書に目を通すうちに僕自身が気が付いていなかったこと、あるいは忘れていたことに気づかされる点も多々ありました。
460ページものボリュームの学術書ですが、フィールドワークにかける熱量が素晴らしい誠実な内容で、年表や索引の充実など、資料性にも優れた構成になっています。
ひとりでも多くの方の目に触れることを願っております。
パート4へ続く
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シモキタ訴訟終了! パート22016.04.17 Sunday
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パート1から続く
◯和解勧告の意義
シモキタ問題の裁判は、公権力の行使の適法性を訴える「行政訴訟」でした。
「行政訴訟」は、日本では非常に原告(訴える側)にとって不利な仕組となっています。
というのも行政訴訟の国側代理人は弁護士ではなく、本職は裁判官や検察官である「訟務検事」と呼ばれる裁判官と公務員が担当しているからです。つまり人事異動によっては裁判官となる可能性もある人間が、行政訴訟で被告の代理人を務めているわけです。
このように原告に不利であることが半ば常識となっている「行政訴訟」においては、今回のように裁判所から和解勧告が出ること自体が異例のことだと言われています。
そして裁判終了2日後の4月1日、今回の裁判長であった増田稔氏は、異動により国税不服審判所本部所長に着任しています。
タイムリミットぎりぎりまで与えられた役割を誠実に果たすことで、異例ともいうべき今回の決着をもたらした裁判官の存在は、今後の「行政訴訟」のシステムの本来のあるべき姿を考えていく上での、ひとつの希望といえるでしょう。
◯「和解」から「恊働」へ
沖縄の例でもお分かりのように、裁判の和解はそのまま「手放しの全面解決」を意味するわけではありません。 裁判所の和解条項(案)と世田谷区の意思表明には「下北沢における道路整備及び街づくりに関するさまざまな意見の対立を超えて、自治の担い手である住民と行政の協働を形成することにより、下北沢の魅力を更に発展させていくことが大切である」と書かれています。
保坂展人世田谷区長は、昨年の区長選挙戦の最中であった4月22日に発表した【下北沢まちづくりビジョン】で、補助54号線の2期、3期工区を優先整備路線から外す見直しを表明しています。これが今回東京都が都市計画道路の整備方針2期、3期工区を優先整備路線から外す背景となったことは、疑う余地がありません。
しかし一方でそれを望ましくないとする動きも存在します。
世田谷区の意見表明とそれを受けた原告の訴訟取り下げがなされたのは3月30日。
自民・公明が多数を占める世田谷区議会は、その前日にあたる3月29日という、いかにもあてつけがましいタイミングで「区政の停滞を招いている保坂展人区長に対し議会の存在を軽視する言動を改めることを求める決議」という非難決議をあげ、区議会ホームページに掲載しています。
シモキタ問題の真の解決は、こうした揚げ足取りのような仕打ちにひるむこと無く、「自治の担い手である住民と行政が協働を形成する」ところにもたらされるのです。
パート3へ続く
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シモキタ訴訟終了! パート12016.04.17 Sunday
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シモキタ問題が画期的な展開を迎えました。
昨年10月の東京地方裁判所の和解勧告をきっかけに、年末に原告側が「下北沢再開発の『見直し』意見書」を提出。 3月30日の法廷では、世田谷区がこれに対する意見表明を行い、原告はそれを受けて訴訟を取り下げ、2006年から10年にわたって行なわれてきた裁判は終了しました。
その意義や背景を細かく伝えようとすると、それこそ本が書けるくらいの膨大な情報量になってしまうのですが、 ここではなるべく項目ごとに分かりやすく整理していこうと思います。
◯具体的な成果
まず3月30日の世田谷区による意見表明の主旨は以下の3点です。
1.小田急線上部について、小田急電鉄と調整しつつ区民等の憩いの公共的な空間となるよう整備する。
2.補助54号線(1期工区)と区画街路10号線(駅前広場)について「特例制度」(オープンカフェの設置など)を利用して歩行者に配慮した街づくりを進める。
3.「広域生活・文化拠点」として位置づけられている下北沢の良好な街並みの維持・発展について、区民等の意見を幅広く聞き必要な対応をする。
また、この意見表明がなされたのと同じ3月30日に東京都は2016年4月からの都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)において、補助54号線の2期、3期工区を優先整備路線から外すことを正式に発表しています。
これらが具体的に大きく意味するポイントは2点。
・下北沢地域の補助54号線は当面、環状七号線や補助26号線などの大型幹線道路とはつながらない。
・補助54号線の1期工区と駅前広場については、整備は進みますが、小田急線上部と連続性を保ちつつ歩行者に配慮した街づくりが進められる。
これによりシモキタ問題は都市計画の見直しを住民と世田谷区が「恊働」して進める新たなステージへと移行しました。
運動の積み重ねが生んだ大きな成果です。
特に東京都の都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)については、このブログの2月4日の記事でもパブリックコメントの提出について、ご協力をお願いしました。
東京都により公表されているその結果を見ると、自民党がチラシを全戸配布までして54号線の整備推進を訴えたのにも関わらず、推進の意見は55件にすぎず、廃止・見直しは229件と私たちの意見が多数であることが分かります。
今回の東京都の選択には、皆様のご協力が功を奏していることをご報告すると同時に、この場を借りて今までシモキタ問題についてご支援くださった多くの方へのお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました!!
パート2へ続く
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拡散希望:シモキタ問題緊急のお願いです2016.02.04 Thursday
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今回は下北沢の道路問題に関する緊急のお願いです。
ご賛同いただける皆様のお力を貸してください!
お願いしたいのは「東京における都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)(案)」への パブリックコメントの提出です。
*「東京における都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)(案)」の詳細はここ(http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kiban/tokyo/iken.html)で御覧になれます。
宛先 東京都都市整備局都市基盤部街路計画課
●Email S0000179@section.metro.tokyo.jp
●性別・年齢・住まい(例○○区、○○市 まででOKです)
●形式は自由です。
●提出期限 2月10日
*住所、氏名、電話番号などの個人情報の記入は任意です。住所は都民でなくても有効です。
この整備方針(案)は、下北沢地区の新規道路、補助54号線の二期工区、三期工区を優先整備から外す内容となっています。これは保坂展人世田谷区長が、昨年打ち出した「下北沢まちづくりビジョン」に、東京都も方向性を揃えるものです。
この件に関する裁判では、裁判所から行政訴訟としては異例の和解勧告が出されており、現在問題を解決するための調整が始まっています。こうした動きを実りあるものとするためには、東京都の(案)を、正式に方針として決定することが重要です。
そこで私たちは、補助54号線の二期工区、三期工区を優先整備から外すことに賛成する意見を集めたいと思っています。
ご賛同いただける方は、以下の主旨が伝わる内容のパブリックコメントを提出してください。
1 下北沢地区の補助54号線は必要ありません。
2 補助54号線の第2期・第3期工区を優先整備路線から外すことに賛成です。
なお、裁判所から和解勧告を受けてから後では、初となる注目の口頭弁論が以下の日程で行なわれます。
提訴から10年、いよいよ大きな山場に差し掛かってまいりました。
お時間のある方は、ぜひこの機会に傍聴にご参加ください。
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◎シモキタ訴訟第38回口頭弁論
●日時:2016年2月15日(月)15時30分〜
●場所:東京地方裁判所103号 大法廷丸の内線・日比谷線・千代田線「霞が関駅」A1出口から徒歩1分、有楽町線「桜田門駅」5番出口から徒歩約3分。
※終了後に報告集会を予定しています。
よろしくお願いいたします。
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