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    「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード2〜太宰治の墓参り&太宰治を演じたい人大募集!〜
    0
      今回は10月3日の日記で書いた「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード1〜ヤマギシガイシという男〜に続くエピソードの第二弾。

      さる9月29日、劇団「ほぼ無職」の2013年2月公演のために「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の初稿を書いた僕は、太宰治の墓参りに出かけ、彼を登場人物とする舞台の成功をお願いしてきた。
      太宰治のお墓がある禅林寺の場所は、三鷹駅南口から徒歩10分ほど。

      よほどお参りに来る人が多いと見え、お寺の墓地の入り口にはこんな図が。

      太宰治のお墓は、森鴎外のお墓のはす向かい。

      なぜ同じお寺の中にあるかというと、太宰の妻であった津島美知子が、生前の太宰の「死んだら大文豪である森鴎外のお墓がある禅林寺の墓に入りたい」という希望をかなえたから。身内としては大変な思いをしたにも関わらず、夫への豊かな愛情を感じさせるいい話だと思う。
      ちなみに山崎富栄と心中した太宰治の遺書には「美知様 誰よりもお前を愛していました」という一節がある。また墓石に刻まれた「太宰治」の文字は、太宰が師事していた井伏鱒二の筆によるものだそうですが、太宰は遺書の中で「井伏さんは悪人です」とも書き残しており、これが何を意味しているかは、長い間論争の種となってきた。この一文が何を意味するかについての分析は、猪瀬直樹の「ピカレスク 太宰治伝」に詳しいので、ご興味のある方はご一読を。


      この本のポイントのひとつは、井伏鱒二の創作に対するパクリの問題。
      例えば彼の代表作「山椒魚」が、ロシアの作家サルティコフ=シチェドリンの「賢いカマツカ」そっくりだという指摘が出てくる。井伏鱒二がパクった当時の状況は、日本人の多くはロシア文学の情報などは伝わっていなかった。それと同じように日本のロックでもブリティッシュ・ロックなどの情報が広く知られていない時期(だいたい80年代前半頃まで)に、まるで替え歌みたいな“オリジナル曲”が生まれている。
      こういうエピソードを見るにつけ、僕には日本の近代文学史の航跡と日本のポピュラー音楽の航跡は、なんだか相似形を描いているようにも感じられたりしてしまう……。

      さて、お墓参りの後で足を運んだのが「太宰治 文学サロン」!


      ここは三鷹市が運営している資料館で入場無料!
      係員が丁寧な応対で質問に答えてくれる他、多数の太宰グッズの販売も行っている。僕はちょっぴり風刺の効いたイラストで描かれた「ひとり文学する元祖 太宰マップ」を購入。
      いまや太宰治も三鷹市の観光資源として活用されているわけだ。
      下北沢で小田急線の跡地にこうした施設を作るとしたら「松田優作記念館」といったあたりだろうか?


      そしてそして、ここから先は劇団「ほぼ無職」のオーディション情報!!
      僕の書いた脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」には、太宰治をはじめ、その妻や愛人、太宰の弟子であった田中英光、そして同時代の文学者であり「堕落論」で有名な坂口安吾など、実在した人物が多数登場する。そこでこれらの役を演じてみたい人を、劇団でオーディションすることになりました。
      公演は2月24日、北沢タウンホール。
      一回公演なので長期間の拘束はありません。
      太宰治が大好きで思い切り舞台の上でなりきってみたい人、坂口安吾が「堕落論」からの一節を舞台で朗読するシーンを演じてみたい人など、一生に一回あるかないかのチャンスになると思います。
      オーディションは11月後半。
      詳細は劇団「ほぼ無職」座長の岩井祐樹(いわいゆうき)まで、以下のアドレスで問い合わせて下さい。
      yuukiiwai@mushoku.net
      なお、劇団「ほぼ無職」のこれまでのメンバー募集は、座長によると『「お仕事何されてるんですか?」「…無職です」というのが恥ずかしい人たちのために、お金がかからないなんちゃって劇団を作りました』というゆる〜い感じで行われてきました。

      どんなノリかご興味のある方は、
      http://mushoku.net/fes/2012/03/「劇団ほぼ無職」メンバー募集!/
      をご覧下さい。





      posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「シモキタ駅前今昔物語(仮)」エピソード1〜ヤマギシガイシという男〜
      0
        「シモキタ駅前今昔物語(仮)」の資料として色々な本を読むうちに、僕にとって興味深いテーマがいくつか浮かんできた。それらをエピソードとして書きとめ、備忘録としたい。

        エピソード1で注目したいのは、評論家の山岸外史(ヤマギシ・ガイシ)。今回の脚本の中には登場しないのだけれど、1934年に太宰治や檀一雄たちと共に同人誌『青い花』に参加した人物だ。

        太宰は「東京八景」の中で、こんなことを書いている。
        「純文芸冊子『青い花』は、そのとしの十二月に出来た。たつた一冊出て仲間は四散した。目的の無い異様な熱狂に呆れたのである。あとには、私たち三人だけが残つた。三馬鹿と言はれた。けれども此の三人は生涯の友人であつた。私には、二人に教へられたものが多く在る」
        つまり親友だったわけですね。

        で、この山岸外史が書いた「人間太宰治」という本を、脚本の参考にしようと読んでみたら、めちゃくちゃ面白い。本も面白いがこれを書いた“人間山岸外史”が、もっともっともっと面白い!

        まず、ガイシが太宰と親しくなるきっかけ。
        知人から「『青い花』という名前の同人誌を作ろうとしている人間がいる」と聞いて、そのタイトルに感銘を受け、いきなりその日のうちに太宰の自宅に押し掛けるのである。
        『青い花』というタイトルは、18世紀後半のドイツの文学者、ノヴァーリスの小説のタイトルで、ロマン主義を象徴する言葉だった。そのシグナルに熱狂的に反応したというわけだ。
        太宰宅に向かう電車の中で、ガイシはこんなフレーズを思いつく。
        「われら、太陽のごとく生きん」
        これはまぁ分かる気がする。当時の太宰は25歳、ガイシは30歳。
        まだ青春してるぜって感じ?

        しかしガイシの閃きはさらにエスカレートしていく。
        「暫くひとりで考えていると、またひとつの言葉がうかんできたのである。
        <われらは、神なり>」
        ちょっとちょっとガイシさん、いきなり神ですかぁ?
        そしてまだ太宰に会う前から
        「これを『青い花』の扉の句にしようとぼくは決心しはじめていた」
        おっさん、ちょっと待たんかい!
        そして出向いた太宰宅はちょうど夕食時。
        ガイシは当時の太宰の妻だった初代からうさんくさそうに見られながらも、二階に上がって食事が済むのを待ち、その後太宰と何時間も文学論をたたかわす。
        結局その“閃きのフレーズ”は使われることはなく、ガイシはかなり不満だったようだ。

        僕自身もテンションがあがると押しが強くなる傾向は自覚しているけれど、ガイシに較べたらなんとも穏やかなものだ(と思う)。しかもガイシはそれをまるで人ごとのように、あるいは当然のことのように書いている。
        う〜む、恐るべしヤマギシガイシ!
        結局、「青い花」は創刊号のみで廃刊。だが二人の交流は激しく続いていく……。

        僕がガイシに親近感を持ってしまうポイントは他にもある。
        「人間太宰治」の中でガイシは批評家という立ち場をグチったりもしている。
        やれ、作家に隷属するような位置に座らせられてしまうだの、作家より一段下にいる人間のように考えられやすいだの、原稿料が安いだの……。
        まるで音楽業界のライター業そのままである。
        うんうん、その気持ち、良く分かるぜガイシ!
        だが彼はもの凄くプライドが高かった。
        「山岸外史は太宰の取り巻きだ」という陰口を叩かれると、ならば太宰と絶交して誰とも馴れ合わない批評家だということを見せつけようとするのである。
        もう、ガイシったら、理屈と情のバランスが変!
        この時は太宰が「君は、ぼくが好きじゃないのかい」とベタな口説き方をして思いとどまらせている。友情ですね〜。

        だが終戦後の混乱の中で、二人は交流を断ってしまう。
        ガイシは戦後にふさわしい新しい価値観を確立しようとして東京を離れ、農村で農業に従事しながらペンをとっていたが、努力のわりに、文壇からはリタイアしたようなポジションになってしまう。そうしたガイシから見た当時の太宰の作品は、滅びの道を進んでいるように映り、共感できない。
        ガイシが太宰に最後に送ったハガキには、こう書いてあった。
        「世の中で最も美しい言葉は、さようならである」
        太宰はそのハガキに激怒したらしく、返事を書くことはなく、そのまま付き合いは途切れてしまう。
        互いの進む道が違ってしまったことを分かった上での別離だったのかもしれない。
        太宰の死後、彼の弟子であった田中英光は、まさに「さようなら」という作品の中で、こんなことを言っている。
        「『グッドバイ』『オォルボァル』『アヂュウ』『アウフビタゼエヘン』『ツァイチェン」『アロハ」等々――。
         右はすべて外国語の『さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の『さようなら』のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。『さようなら』とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ。」
        なんだか付き合いを断ってしまったガイシへの当てつけのようにも読み取れる。
        太宰が心中で他界した後、残された妻である津島美知子は「山岸さんが東京にいたら、太宰は死ななかったものを」と嘆いたという。
        また太宰自身も遺作となった「グッド・バイ」のタイトルについて、仕事場の大家から「日本語のさようならにすべきだ」と言われた時、頑として「グッド・バイ」でなければいけない、と言って譲らなかったという。
        これはう〜ん、太宰もガイシも文士の矜持というべきか、意地っ張りというべきか、微妙なところですね。

        さて、このように太宰と絶交状態だったガイシだが、太宰が死ぬ四ヶ月ほど前に、一度だけ太宰と言葉を交わす機会を持っている。別件でガイシが太宰の家の近所まで行くことを知った妻や周囲の人間が口を揃えて「太宰と逢うべきだ」というのに言い負かされた形でそれは実現した。
        しかしこの生前最後の訪問も型破りである。
        ガイシが前触れも無くふたりの文学仲間を連れて太宰宅を訪れたのは深夜の午前二時!
        結核に苦しみ寝込んでいた太宰にガイシはこう切り出す。
        「太宰、葬儀執行委員長は、おれかネ?」
        ヒエ〜〜ッ!!
        だが、これに対する太宰の答えも凄い。
        「いや、まだ、早い」
        互いの定めを分かり、愛おしんでいながらも、言葉で闘うことでしか親しみを表明できない三馬鹿のうちの二人。
        結局、太宰は起きだして朝の六時まで酒を酌み交わしたという。
        帰り際にガイシは、太宰の妻から「こんどは昼間、おいで下さいまし」と皮肉を言われている。
        そりゃ〜そうですよね。文士の奥さんは大変だ。

        しかし、ガイシの言葉への責任感、っていうか愚直さは尋常ではない。
        1948年6月、太宰が山崎富栄と玉川上水に入水自殺したのを知ると、ガイシは太宰宅のある三鷹に駆けつけ、遺体の捜索にも参加している。だが、周囲の人々から見るとガイシは都落ちしてしまった文壇のはぐれ者。お通夜の場でも酔っぱらって顰蹙を買っている。そして葬儀も終わり、大半の人が帰って、葬儀屋が祭壇を片付け、葬儀委員長だった豊島与志雄が帰ろうとする間際になってこんなことを言い出す。
        「おかげさまで、無事に葬儀もおわったのですが、どうか『これより葬儀委員長を山岸外史に命ず』とひと言いって戴きたいのです」
        お前はアホか〜〜!!
        だが僕はこのくだりを読んでいて、思わず泣きそうになった。
        事情を知らないはずの豊島与志雄も何か感じるところがあったのだろう。
        「わかりました。これより葬儀委員長を山岸外史に命ず!」と生真面目に言って帰っていったそうだ。

        本当なんだろうか? 話を面白くするために誇張している部分があるのでは?
        だが事実がどうであろうと
        こんなことを書いてしまうガイシが、僕は大好きだ。
        そしてガイシは(まだ正確なタイミングが調べられていないので、太宰の死との前後関係が断定できないのですが)戦後に「青い花」を復刊。
        このあたりに僕は、オリジナル・メンバーが欠けた後、それでもあえて再結成するロック・バンドにも似た気概を感じてしまうのである。





        ○2012年10月08日(祝)下北沢lown
        志田歩 with kubotti VS 六弦詩人義家
        18:00スタート
        1500円+オーダー



        posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        脚本「シモキタ駅前今昔物語(仮)」初稿完成
        0
          9月12日の日記でお伝えした劇団「ほぼ無職」のための初稿をようやく書き終えた!

          この公演は2013年2月24日 第23回下北沢演劇祭の一環として北沢タウンホールで行われることになっているが、そこにたどり着くまでは、まだまだ多くの道のりがある。

          この脚本のきっかけは、今年3月に試写会で見たウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」だった。
          パリの文化的な重層性をポップに描いた切り口に感嘆した僕は、即座にMUSIC MAGAZINEで映画評を書かせてもらったが、映画評を書き終わる頃には「これを下北沢に応用したらどうなるだろう?」と思っていた気がする。

          はじめは小説のような形式を考えたが、その10日後に岩井祐樹と出逢ったことから、芝居の脚本にした方が面白そうだと閃き、ようやく初稿の完成までたどり着くのに半年もかかってしまった。
          座長の岩井祐樹には「9月中に」という約束だったが、明日以降はライヴのリハとマガジンの原稿などで追われることが確実なため、本当に締め切りギリギリ!

          とはいえ、初稿はあくまでも初稿でしかない。
          これからは岩井と二人で、これをどう修正していくかで四苦八苦することになるのだろう。
          今日はこれから脚本の中で活躍する太宰治と田中英光にあやかって、三鷹の禅林寺まで、お参りに行って、この芝居が無事に上演されるようにお願いしてまいります。
          posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          脚本執筆中
          0
            最近、ある劇団のための脚本を書き下ろしに取り組んでいる。
            その劇団名は「ほぼ無職」
            なんともいかがわしくうさんくさい名前ではある。
            だが劇団の座長、岩井祐樹は、スピード感溢れるすばらしい行動力の持ち主だ。
            僕は自分から脚本の書き下ろしを申し出た。
            この春に彼と知り合ってから、わずか数日後のことだった。
            「徒党を組むに値する」という判断は、お互いに直観的なもの。
            この判断が結果的に吉とでるかどうかは、
            2013年2月24日 第23回下北沢演劇祭の一環として北沢タウンホールで行われる
            劇団「ほぼ無職」の公演によって明らかになるはずだ。

            演出は座長である岩井祐樹が担当する。
            僕自身は本当に納得のいくものが書き上げられる確信を持てるまで情報公開をためらっていたのだが、
            “スピード感の男”岩井祐樹は、いちはやくfacebookで、僕が脚本を担当していることを暴露!
            「こういうプレッシャーの掛け方のってやろうじゃないか」と思いつつ、執筆を進めていった。

            実は最近ブログなどの更新が滞っていた一因は、この脚本の執筆であった。
            書けない時は……書けない。
            そんな日は自己嫌悪でどうしようもなくなる。
            特に今回のテーマは多くの資料を読み込んだり、直接人に取材したり、資料を探しに行ったりと、執筆に没頭する前の準備にかなり時間を要するため、ついつい焦りがちであった。

            しかし先週になって、ようやく突破口が見えてきた。
            いや、突破したのではない、書きながら爆笑したり、声を出して泣いたりする“おかしな人モード”に突入したのである(笑)。
            このモードは、「玉置浩二☆幸せになるために生まれてきたんだから」の終盤を書き上げる時にも味わっている。
            音楽でも文章でも、事前に作っておいた青写真を再現するタイプの構築には、僕はあまり興味が無い。
            「おいおい、こんなこと言っちゃうの?」
            「こんな曲できちゃうの?」というようなハプニング的な思いつきを大事にしたい。
            少なくとも自分が作っていて「面白い!」と思えるのは、そうした類のものばかり。
            第三者的に見てどうかの判断は、自分ではできない。
            今回の脚本については、岩井祐樹の役割である。

            とはいえ。“変な人モード”に突入した時の僕は驚異的に押しが強くなる。
            まだ書き終えたわけでもないのに、
            「ここまで見せれば、この舞台に要するテンションとクオリティは判断できるはず」ということで、
            下北沢バックスに岩井祐樹を呼び出し、脚本の初稿を手渡した。
            いかに自分が強気といえども、彼が「こんなのうちの劇団ではできません」と言ったら、全てはご破算である。
            この一瞬はさすがに緊張したが、岩井祐樹は「ありです、やりましょう!」と言ってくれた。

            ということで、ここしばらくは脚本を仕上げるために夢中な日々が続くことになる。
            とはいえ、“おかしな人モード”に入ってしまうと、原稿を書くことは、快楽以外の何ものでもなくなる。
            悦楽的な日々を満喫することにしたい。

            このブログ上で、この脚本に関する記述は、劇団「ほぼ無職」のカテゴリーでエントリーすることにしましたので、今後もご覧いただければ幸いです。


            以下、ライヴ告知
            10月8日(祝)
            志田歩 with kubotti、 六弦詩人義家
            @下北沢lown(ラウン) 18:00開演 チャージ1500円+ドリンク
            posted by: 志田歩 | 劇団「ほぼ無職」 | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |